映画「どこかに美しい村はないか」茨木のり子さんと私。 |
茨木のり子さんの詩を読んだのは
私が大学生の時です。もう50年も前のことです。
その頃の私は、
ちょっとしたことにすぐ躓いては、
傷ついていて、
そういう私に、友人が茨木さんの詩を
教えてくれました。
それが「汲む」という詩です。
あゝ傷つきやすくてもいいんだな。
感受性がもろくていつも
こころがボロボロになる。
それでもね、初々しい、その感性が
素敵だと、書いてありました。
以来、私は茨木さんの詩に、何度も救われました。
大好きなのは「花の名」です。
お父さんの告別式の帰りの汽車の中で
同席した青年との会話からはじまります。
今でもこの詩を読むと、
当時の汽車の硬い緑色のビロードの座席や
そこに座っていた戦後の客たちの姿を思い出します。
その中には確かにチロル風の登山帽をかぶった男のひとも
いたわ!
そしてまるで小津映画にでてきそうな
茨木さんのお父さん。
シャツをたくしあげて、次々と来る患者さんを診ている。
茨木さんの詩の言葉はいつも
私の気分にぴったりときて
「わたしが一番きれいだったとき」
という言葉など、
もう私の胸に突き刺ささっては
硬くなっている私の心をすっと溶かしました。
そし結婚した私が、その生活の辛い時読んだのが
「怒る時と許すとき」です。
「慣れない煙草をぷかぷかふかし
油断すればぽたぽた垂れる涙を
水道栓のようにきっちり締め
男をゆるすべきか、怒るべきかについて
思いをめぐらせている。」
その通りでしたね・・・苦笑!
茨木さんの詩は、時にまるで男のように
さっぱりと、サバサバと言葉が吐かれ、
過激な言葉も、当然のようにほおり込んでくる。
それでも、その根底には、
私はこんなに懸命に素直にそして激しく生きている、という
彼女の矜持と愛があふれ、
わたしの心もそれに連動するのです。
はじめて児玉さんのガラス絵を見たとき、
あゝこれは茨木さんの愛した世界でもあるな~と
思いました。
描かれているのは
巷の無名の人々です。
「農夫 下駄屋 おもちゃ屋 八百屋
漁師 うどんや 瓦屋 小使い」(花の名より)
市井の中で、素朴にそして、懸命に生きる民衆。
それは
茨木さんも、茨木さんのお父さんも愛した、
人々です。
わたしの最後の仕事として、
児玉さんのガラス絵と遠野の風景をリンクさせた
人間賛歌の映画を創ろうと思ったとき、
何度考えても、
「どこかに美しい村はないか」しか
浮かびませんでした。
賢治の農民芸術概論の世界や
ポラーノ広場のイメージから
賢治の言葉でも、と、思いましたが、
どうしても
茨木さんの言葉がアタマから離れませんでした。
長いあいだ、わたしが密かに同志と仰いだ先輩、
茨木のり子さんの詩の世界を
映画にするなんて
もう私は何もいうことはありません。
児玉さんは巷の人々を描きながら、
「私はあなたたちを描いている」といいます。
人間を愛しました。


