2019年 06月 22日
映画「どこかに美しい村はないか」AI時代をどう生きるか、少子高齢化社会をどう乗り越えるか、その1 |
明日からまた遠野に入ります。
いよいよ撮影は残り三分の一となりました。
でもこれからは幻想のお祭りシーンなど
クライマックスのハイライトの映像をとります。
実はこの映画のテーマは二つあり、
一つは
●AIテクノロジーの時代に向けて、
いよいよ人口知能が社会を制してゆくことが
良いことも多々あるであろう反面
人間の脳の劣化が起き、
様々な社会問題を起こしてくということ。
どう生きるのか、ということです。
もう一つは
●先進国の病理である
少子高齢化社会と後継者不在の現実を
どう乗り越えるかです。
それは単に政治的に経済的に物理的に
すぐに解決するというのはなく、
●人間の文化や文明の大きな視野から捉えての解決を、
考えるのであり、
あまりにテーマが壮大であり、
その茫洋としたスケールであるために、
私の中でもそれをどんな言葉で説明したらいいのかが
なかなか煮詰まりませんでした。
AIテクノロジー社会の進行に対して
その時起きうるであろうマイナスの側面に対し、
アンチテーゼとしての児玉さんのガラス絵や茨木のり子さんの詩を
対峙させるというだけではなく、
それらを乗り越えるためには
どうしたらいいか、
どのように解決克服し、
その希望の未来を視野に入れた説明を
どうするか?を
さんざん頭の中で巡らせていたのです。
現実的に具体的に
分かりやす言葉で表現するには
どうしたらいいのかと
考えあぐねていたのです。
ところが映画の撮影が進むにつれ、
私の中で、はっきりと、それに対する答えと
確信が生まれてきたのです。
それは、すべての根底にあるのは
まさに自然と人間の関係であること。
※これは当たり前といえば当たり前のことでありますが
しかし、当たり前すぎて見過ごされてきたとも、言えます。
つまり
●文明とは、人間が自然をコントロールしようとすることであり、
自然をコントロールすればするほど
自然と人間の乖離が起き、
それは自然が破壊されるだけではなく、
●人間の自然性もが
壊れていくことである、ということです。
文明の進化は確かに人間のくびきとなる様々なことを
開放しました。
重労働からの解放や
生活の向上や社会の発展に貢献し、
私達を脅かす病気や生命の危機をも克服してきましたが、
しかし一方では
自然が破壊され、
自然の摂理や循環体系が壊れていきました。
さらに
放射能汚染や、オゾン層の破壊などまでにも
及んでいます。
それと同時に世界が人工的になるにつれ、
人間の自然性が疎外され、
あからさまに目には見えない現象として、
●人間の精神や脳世界の劣化や退行が起き、
起きています。
そしてなお、
人間の細小単位である、家族の崩壊も
起きてきている。
そんな大きな問題を含みながら
多くの人々はこのままハメルンの笛吹のネズミのように
AI文明に呑み込まれてゆくかもしれません。
また、それを止めることもできないかもしれません。
しかし映画を撮影する中で
私には一条の希望も見えてきました。
この映画を通して、私がお伝えしたいこと、
人間の最後の希望はどこにあるのかを
これから少しずつ、わかりやすく
書いていこうと思います。
分かりやすくするために
ざっくりと書いていきますよ。
それでは、
とりあえず、明日からまた
遠野のロケに行ってきます。



いよいよ撮影は残り三分の一となりました。
でもこれからは幻想のお祭りシーンなど
クライマックスのハイライトの映像をとります。
どうぞお楽しみに!!
映画「どこかに美しい村はないか」
~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~
一つは
●AIテクノロジーの時代に向けて、
いよいよ人口知能が社会を制してゆくことが
良いことも多々あるであろう反面
人間の脳の劣化が起き、
様々な社会問題を起こしてくということ。
つまり私たちは
●AIテクノロジーの時代を
どう生きるのか、ということです。
もう一つは
●先進国の病理である
少子高齢化社会と後継者不在の現実を
どう乗り越えるかです。
それは単に政治的に経済的に物理的に
すぐに解決するというのはなく、
●人間の文化や文明の大きな視野から捉えての解決を、
考えるのであり、
あまりにテーマが壮大であり、
その茫洋としたスケールであるために、
私の中でもそれをどんな言葉で説明したらいいのかが
なかなか煮詰まりませんでした。
AIテクノロジー社会の進行に対して
その時起きうるであろうマイナスの側面に対し、
アンチテーゼとしての児玉さんのガラス絵や茨木のり子さんの詩を
対峙させるというだけではなく、
それらを乗り越えるためには
どうしたらいいか、
どのように解決克服し、
人間の幸福へと止揚していくか。
それを考えねば。
その希望の未来を視野に入れた説明を
どうするか?を
さんざん頭の中で巡らせていたのです。
現実的に具体的に
分かりやす言葉で表現するには
どうしたらいいのかと
考えあぐねていたのです。
ところが映画の撮影が進むにつれ、
私の中で、はっきりと、それに対する答えと
確信が生まれてきたのです。
それは、すべての根底にあるのは
まさに自然と人間の関係であること。
※これは当たり前といえば当たり前のことでありますが
しかし、当たり前すぎて見過ごされてきたとも、言えます。
つまり
●文明とは、人間が自然をコントロールしようとすることであり、
自然をコントロールすればするほど
自然と人間の乖離が起き、
それは自然が破壊されるだけではなく、
●人間の自然性もが
壊れていくことである、ということです。
文明の進化は確かに人間のくびきとなる様々なことを
開放しました。
重労働からの解放や
生活の向上や社会の発展に貢献し、
私達を脅かす病気や生命の危機をも克服してきましたが、
しかし一方では
自然が破壊され、
自然の摂理や循環体系が壊れていきました。
さらに
放射能汚染や、オゾン層の破壊などまでにも
及んでいます。
それと同時に世界が人工的になるにつれ、
人間の自然性が疎外され、
あからさまに目には見えない現象として、
●人間の精神や脳世界の劣化や退行が起き、
精神の異常や、想定をはるかにこえた犯罪までもが
起きています。
そしてなお、
人間の細小単位である、家族の崩壊も
起きてきている。
そんな大きな問題を含みながら
それをどのように乗り越えたらいいのか。
多くの人々はこのままハメルンの笛吹のネズミのように
AI文明に呑み込まれてゆくかもしれません。
また、それを止めることもできないかもしれません。
しかし映画を撮影する中で
私には一条の希望も見えてきました。
この映画を通して、私がお伝えしたいこと、
人間の最後の希望はどこにあるのかを
これから少しずつ、わかりやすく
書いていこうと思います。
分かりやすくするために
ざっくりと書いていきますよ。
それでは、
とりあえず、明日からまた
遠野のロケに行ってきます。



by denshinbashira
| 2019-06-22 13:54
| 遠野の映画撮影日記
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