2019年 06月 27日
映画「どこかに美しい村はないか」 AI時代をどう生きるか、少子高齢化社会をどう乗り越えるか、その2人間の能力(脳力)は労働によって曳きだされる、 |
AI時代をどう生きるか、少子高齢化社会をどう乗り越えるか,を
ざっくりと書いていきましょうか。
少子高齢化社会の奥にあるのは、
人間の労働についての事です。
それは移民の導入などの政治的な解決や
社会制度の改革や
経済の生産性へ対処だけではなく
もっと根本的で根源的なことを
私達は突き付けられていると
私は思います。
それは人間としての根源的な問題です。
つまり
労働の根源には、
●人間の能力(脳力)は労働によって曳きだされる、ということが
あるからです。
労働が単に、物質や金銭的価値を生み出すのではなく
そのことによって
人間の<能力>が引きだされ、
育て高めていることに対して、
その目には見えないことに対して、
多くの人々は気づいていないのです。
多くの人が考えるのは労働の即物性であり、
目がいかない。
そもそも技術ということをなぜ人間が発見したか、というと
それは人間の労働の限界を補うもの、
さらに発展させるものとして
人間が次々に考えだしたものです。
人間が二足歩行になり、手と指と腕が解放されたからです。
人間が肉体労働や、重労働から解放されるために、
さらに効率よく、生産性と結果をだすために
人間の脳は次々と労働技術を考えだしていきました。
そういうことを踏まえた上で、ちょっと気づいて欲しいのは、
●労働の根源には、人間が無から有をひきだしていく
脳の能力の発露と発展があるということです。
そして人間はついに肉体労働からの解放だけではなく、
脳の能力の領域までを、テクノジー化しようという時代に
入ったということです。
ほんとうは、労働によって人間がその能力(脳力)を高めていたのにもかかわらず、
AIの時代は、その能力(脳力)さえも、放棄してしまうということです。
人間にとって今、必要なことは
●AIの技術と人間の労働についての深い観察と考察を以て
それを人間の幸福にどうつなげていくかを
考えなければならないということです。
もしかしたら、行き過ぎた文明を
どこかで踏みとどまらなければならないのかも
しれないのです。
なぜ私がそう思うのかは
●人間の自然性がどんどん疎外されていくからです。
つまりAI時代の問題として、
大きなテーゼとして浮かび上がってくるのが
●人間の自然性です。
人間の自然性とはなにか。
人間の内部から湧きおこってくる欲求や欲望や感情とは
何か。
AI文明の発達が行き過ぎる時、
人間の自然性が冒され、
そこには、取り返しのつかない、大きな喪失がうまれるかも
しれません。
それを読んでカントもヘーゲルもニーチェも
人間とはなにかと考えました。
労働とはなにか。
マルクスもエンゲルスも
そしてトルストイもドストエフスキーも
考えました。
これからほんとうに問われていくのは、
人間の自然性と労働と
そしてAI文明を、
いかに高い次元で止揚するかでしょう。
高い次元とは
高邁な理念、すなわち、いかに人間を幸福にするかの理念を以て
どのようにAI時代を創り上げていくか。
私達はAI時代をどのように生きるか。
今、それが問われていると


ざっくりと書いていきましょうか。
少子高齢化社会の奥にあるのは、
人間の労働についての事です。
それは移民の導入などの政治的な解決や
社会制度の改革や
経済の生産性へ対処だけではなく
もっと根本的で根源的なことを
私達は突き付けられていると
私は思います。
それは人間としての根源的な問題です。
つまり
労働の根源には、
●人間の能力(脳力)は労働によって曳きだされる、ということが
あるからです。
労働が単に、物質や金銭的価値を生み出すのではなく
そのことによって
人間の<能力>が引きだされ、
育て高めていることに対して、
その目には見えないことに対して、
多くの人々は気づいていないのです。
多くの人が考えるのは労働の即物性であり、
その奥にある
●脳の働きまでには
目がいかない。
そもそも技術ということをなぜ人間が発見したか、というと
それは人間の労働の限界を補うもの、
さらに発展させるものとして
人間が次々に考えだしたものです。
人間が二足歩行になり、手と指と腕が解放されたからです。
人間が肉体労働や、重労働から解放されるために、
さらに効率よく、生産性と結果をだすために
人間の脳は次々と労働技術を考えだしていきました。
そういうことを踏まえた上で、ちょっと気づいて欲しいのは、
●労働の根源には、人間が無から有をひきだしていく
脳の能力の発露と発展があるということです。
そして人間はついに肉体労働からの解放だけではなく、
脳の能力の領域までを、テクノジー化しようという時代に
入ったということです。
ほんとうは、労働によって人間がその能力(脳力)を高めていたのにもかかわらず、
AIの時代は、その能力(脳力)さえも、放棄してしまうということです。
人間にとって今、必要なことは
●AIの技術と人間の労働についての深い観察と考察を以て
それを人間の幸福にどうつなげていくかを
考えなければならないということです。
もしかしたら、行き過ぎた文明を
どこかで踏みとどまらなければならないのかも
しれないのです。
なぜ私がそう思うのかは
●人間の自然性がどんどん疎外されていくからです。
つまりAI時代の問題として、
大きなテーゼとして浮かび上がってくるのが
●人間の自然性です。
人間の自然性とはなにか。
人間の内部から湧きおこってくる欲求や欲望や感情とは
何か。
AI文明の発達が行き過ぎる時、
人間の自然性が冒され、
そこには、取り返しのつかない、大きな喪失がうまれるかも
しれません。
200年も前にジャン・ジャック・ルソーが書いた「エミール」で、
近代が始まりました。
それを読んでカントもヘーゲルもニーチェも
人間とはなにかと考えました。
労働とはなにか。
マルクスもエンゲルスも
そしてトルストイもドストエフスキーも
考えました。
これからほんとうに問われていくのは、
人間の自然性と労働と
そしてAI文明を、
いかに高い次元で止揚するかでしょう。
高い次元とは
高邁な理念、すなわち、いかに人間を幸福にするかの理念を以て
どのようにAI時代を創り上げていくか。
私達はAI時代をどのように生きるか。
今、それが問われていると
私は思います。
つづく!


by denshinbashira
| 2019-06-27 07:32
| 遠野の映画撮影日記
|
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