アメアラレのように降って来る情報は 人間の思考力を疎外し始めている! |
あゝ私はもう古い種類の人間なんだな~と
思いました。
それは今の、とくに20代、30代、もしかしたら40代の人達の顔と
私自身の顔が全く違っているように思ったからです。
それは私が老人で年寄りだから、ということではなく、
デジタルな顔付きとアナログな顔つきのちがかな~と
思うのですよ。
※自分をものさしにして、すみません・・・苦笑!
脳の中は刻々とデジタルに変化していますが
変化しながらも脳内データーの掘り下げも同時に行われています。
その掘り下げの深さは脳の集中力に比例していいると
私は思うのですが。
※しかしこれは何の根拠もありません、ただ
私がそう感じだけです・・・。
脳の中は、
データーが瞬時に集約や統計や分析をされていると同時に
その掘り下げの思考もやっている。
しかし、
デジタルな顔つきの人間は、どうも集中し掘り下げるという事をせず、すぐ
次への関心へと自分が移行し、
彼らに脳の中の実情は
その目まぐるしい変化が先行しているのではないか、と
私は思うのです。
まあ、これも私の独断的な感じ方でもあるのですが・・・。
次から次へとアメアラレのように降って来る情報は
人間の思考力を疎外し始めているのではないかと
思うのです。
これも時代の趨勢かとも思いますが、しかし
しばし足を止めて考える、ということは、
人間が人間たるための大切なことです。
脳がものごとの表面ばかりをなぞるのではなく、
深い呼吸の中でしっかりと思考し、
哲学をすることも
大事だと
思いますが、
いかがでしょうか。
ある人の文章で、
「情報と知識とは違う。いくら情報を持っていても、それを自身の持つ知識に変えないと、それらを活かす事はできない」と書かれていたのを思い出しました。
その情報を 自身で実際に使ってみて、失敗しながらも、自身の物としていく。
これはしんどいことではありますが、「体で覚える」とはそういうものなのだと思います。
「消化する」という言葉でも表現出来るかもしれません。
職人の世界では、「学校で教わったことは忘れろ」と、乱暴な言い方がよくされますが、人それぞれみな違う「からだ」にしみ込ませて、自分の物にしろと教えているように私には思えます。
そうやって身に着けたものは 一生忘れません。