どんな人間も、そういう自分独特の世界の中で、 苦悩しながら生きている |
高村智恵子の内面を分析するものでしたが、
当時はそのことを理解するひとはホントに少数であったと
思います。
※今もまだまだ少数で、やっと少しだけ大衆に理解されるように
なったかな~?!
人の心理というのは、
その裏に複雑に錯綜した感情や思いがありますから、
表面からみただけでは、なかなかわかりません。
人工知能でいうデープランニング(深層学習)も、
人の心理の深さに比べたら
まだまだ浅いものです。
そして人には、
それぞれの人が固有にもっている経験記憶がありますから
独特の絵(イメージ)や世界を描いて行きます。
そんな中でなぜ智恵子の内面を描いたかというと、
光太郎が書いた「智恵子抄」があまりにも表面的で、かつ
女に対する認識の甘さや思い込みの強さに疑問を持ったからです。
それと同時に、人間の心はもっと複雑である、ということを
私は言いたかったのです。
宮沢賢治の場合も同じですね。
奇しくも、宮沢賢治にも光太郎が関わっていて
世の中の人々が賢治を誤解してしまう原因を作ったのも
光太郎です。
つまり、光太郎自身が、深い人間の内面観察や思慮に、
ちょっとかけていた人なんですね。
彫刻家としても、詩人としても、
その欠落はちょっとどうかな、と思いますが、
彼自身も書いているように<愚直>なんですね。
<愚直>は愚直で、
自分の在り方としてはそれでいいんですが、
他者や人間を理解しようとするときは
あまりにも単純すぎました。
宮沢賢治も彼の死後、
遺品のトランクの中から発見された手帳に
「雨ニモマケズ」が書いてあり、もう
その言葉のインパクトだけで、
賢治像を作り上げてしまいました。
しかし、私は賢治研究の鈴木治氏のいうように、
賢治がなにもかも、失敗し、最後の綱であった戀愛にも破れて、
あの詩を書いたのではないかと、思います。
※これはこれからの賢治研究者の課題でもあると思います。
人間を、とくに実在した人間を幻想化することに対する安易さを
私は危惧します。
智恵子さんも光太郎に幻想化されてしまったばかりに
いかにも人間らしい彼女の闇の部分を封印した仮面でいきようとし、
とうとう彼女の精神が壊れてしまいました。
賢治も、偶像化されたしまったばかりに、
彼の作品に潜む、
人間らしい脆弱さが消されてしまいました。
※ほんとうはとても軟弱な青年だったと、私は思います。
賢治の本質は、理想と現実の落差の中を彷徨う、
精神を純粋培養した青年です。
冒頭にも書きましたが、
人間の心(脳)はとても複雑です。
その人の脳のインパルスは
その人自身の独特の経験世界、体験世界が錯綜する中、
独特の連結や、連続性をもってその脳世界を構築していきます。
そしてもう人生の最終にきている私自身の認識は
●どんな人間も、そういう自分独特の世界の中で、
苦悩しながら生きている、ということです。
そこには、特別な人間など、ひとりもいない、と
思いますよ。
その苦悩の中にこそ、
人間の普遍性があります。
だからこそ、
私は智恵子さんも、賢治さんも、その苦悩の世界を
書きました。
あなたのためにも、私自身のためにもね。
人間というものが、いかに複雑で深いかという認識を以て
自分を大切に、他者を大切にできるといいね!!