亀君の中に私が見る純真で、すきとおった純粋性こそが なによりも素敵であること! |
脳の中には本能的に他者と対立し威嚇する古い動物的な脳と
それをグルリと囲い込む、
他者と共生していこうとする理性の新しい脳があります。
本能的な脳は感情を生む脳で、
爬虫類や小動物の名残としての脳であり、
とても攻撃的だったり、
逆に保守防衛的だったりの脳です。
瞬間的にスイッチが入り、対立したり、対抗したり、
威嚇したり、妬みや、支配欲など
攻撃性をもとにした
いわゆる弱肉強食の動物世界でもあります。
しかし一方の
他者を共生していこうとする脳は
他者と助け合い、共に生きようとし、
人間の高邁な行動に感動し、
自らの卑小な行為を律する脳です。
ただ、どちらかというと本能的な脳の方が
パワーがありますから、
だからそこにスイッチが入ると、
動物的感情に飲み込まれ、理性が利かなくなります。
その感情が収まって、漸く理性の脳が作動しはじめ、
客観的に自分を見つめるのです。
昨日は若き友人の亀君と青梅に行きました。
亀君がメキシコに行くというので、
その送別と、そしてどうしても亀君に伝えたいことがあったのです。
丹三郎屋敷でそばとアユを食べました。
残念なことに、
亀君の所望した沢がには、産地の宮崎が雨の連続であり、
仕入れができず、食べられませんでしたが・・・。
その後、川合玉堂の美術館に行きましたが、
私達以外だあれもいないその静まり返った空間で
ゆっくり、じっくりと玉堂の絵をみることができました。
そこには私が大好きな、大きな川を挟んで鮎釣りをする絵が掛かっており、
その絵にまた会えた嬉しさでこころが弾みましたよ。
実は私は大きな勘違いをしていて、
亀君のメキシコ旅行は1年以上の長期なものだと
思い込んでいたのです。
このところ、体の老化がドンドン進みますから
もしかしたら亀君が帰国したとき、もう
会えない状態になっているかもしれないので、
メキシコに立つ前に、話したいと思ったのです。
亀君は5人兄弟の末っ子です。
そのせいもあってか、とてもおっとりしているのです。
そのおっとりしていることが、亀君と会っている私を
とても心地よくさせてくれます。
彼は1メートル80センチの巨漢ですから、
私の仕事もずいぶん手伝ってくれました。
玉堂美術館をでたあと、すぐそばにあるカフェ<いもうとや>で
アイスクリームを食べました。
その時雑談をしながら、
亀君にも昨日書いたソクラテスやプラトンの話をしました。
哲学や思想の原点です。
ちょうど私が亀君の年齢の頃、
私は傲慢極まりない自分を、
カウンセラーのK先生から谷底に突き落とされました。
子どもの頃から本ばかりを読み、
頭の中が観念でいっぱいであり、
人間の生きる実相がどれほど困難で苦しいものであるかを
その観念を通してしか見ることができなかった私は、
安直に社会を批判し、大衆を上から目線で見る、
ほんとうにイヤな人間でした。
しかし、K先生は私が発したある言葉に激怒され、
私をコテンパンにやっつけ突き落としたのです。
丁度ソクラテスがソフィスト達に容赦なく詰問したようにです。
私も先生に対して激怒し、そして先生に対する怒りと憎悪で、
体が震え、更には自分の中の攻撃性が突きあげては消えるというようでした。
ただ、私は考えました。
なぜなら、
どこかに、うっすらと先生の指摘があたっているようなものがあり、
それが頭の前頭部で、微かに浮かんでは、怒りにかき消されるという風に
ありました。
自分の中で怒りと理性の格闘があり、
ほとんど何もできない状態に落ち込みながらも
頭の中はぐるぐると思考が駆け巡り続けました。
そして四日目に、とうとう私は攻撃的な自分を突き放し、
私は先生の言われるように、自分を変えたい、変わりたいと思いました。
私は沢山の知識を勉強しました。
それでいかにも世の中や人間のことを分かったつもりになり、
さらに、知識や教養の有無で、人間を格付けした序列をつくり、
教養のない人間を無意識で格下に見ていたのです。
人間の皮相的な一面しか見えていない私が、
傲慢にも人間を批判し、社会を批判し、そして
自分の優位性に胡坐をかいている。
さらに格下に位置付けた人を侮蔑的にみている。
そういう私を先生は突き落としたのです。
四日間考えて、私は変わりたいと思いました。
何とか自分を変えたいと決心し
それを先生にお話した時から
私は目の前が晴れやかになり、
世界観や人間観の大きな変貌がきました。
目の前に現れたのは
清々しい風が吹き抜け、
自分の心が洗われた清新な気分と感情の世界であり、
その清新な窓から見える私は、
頭デッカチの自分が、何も知らないこと。
何もわかっていない自分であること。
自分は、有限で脆弱なちっぽけな存在にすぎないこと。
逆に、
今まで出会った人、、そしてこれから出会う人々や出来事の中にこそ、
自分が学ばなければならない大切なことが満載であること。l
他者は自分に何かをもたらしてくれる大切な存在であることが
体の芯からわかったのです。
人間を皮相的な視野で計らない時、
そこには、どんな人もが、
私に斬新でユニークな世界を告げてくれるメッセンジャーであること。
ちょうど亀君の歳頃(40歳の頃)
私がどんなに大きな転機を獲得できたか、
そして亀君の中に私が見る純真で、すきとおった純粋性こそが
なによりも素敵であることを話ました。
ソクラテスの弟子であるプラトンが考えた、
どんな人間の中にも、魂が震えるような純粋性があること。
その純粋性を見つめながら、他者を信じ信頼し、そして
共に生き、生きれたことへの感謝を
亀君に話しました。
亀君のメキシコ行きは、数カ月の短期間であるとのことですが、
どうぞ、君のユニーク性を発揮して
面白旅を楽しんできてください。
きっとそこからもまた、新たな世界が広がると思います。

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