2019年 07月 22日
映画「山懐に抱かれて」を見てきました、が・・・?その2、なぜ若者が砂漠化するか・・。 |
おやおやセミの声がしはじめましたよ。もうすぐ梅雨があけるのかな?
ただ、私から見ると作りての時代感覚の古いところが、
その大切なメッセージを素通りして、
それをお伝えすることも難しいのですが、
でも頑張って書いてみます。
2「なぜ若者の心が砂漠化しているか」
戦後一番の変化は
階級社会が崩壊し、その代わりに大衆社会へと
社会が変貌していったことです。
中でも教育ということが広く一般までに広がり、
誰でも心ざしがあれば、大学へと進学できるようになりました。
高校でも大学に行くのは約2,3割の人でした。
それが時代の進行と共に、大学進学率がドンドン上がり、
もともと大学のはじまりは、
明治政府が官僚の人材を育てるために作りました。
つまり社会のリーダーたちを育成するためのものだったのですね。
だから戦前までは、大学生はエリートであり、
そして、戦後階級社会が解体し、
それまでは上流あるいは裕福層のものだった大学進学が、
一般庶民でも可能になった時、
ひとびとが考えたのは、大学、それもいい大学を卒業すれば、
出世コースに乗れるという単純で短絡した上昇指向です。
その短絡したが親たちが
自分の子供の尻を叩いて勉強をさせ、
何の根拠も保障もないのに
いい大学へいけば、良い就職がデキル・・というような幻想の
その為に子どもたちは勉強が優先され、
学校の成績といいう序列の中に放り込まれ、
遊ぶ時間を失い、ぼ~っとする時間もなく
親に尻をたたかれて、受験戦争の中へと追い込まれました。
まあ、それでも企業の中の、学閥のコネクションが効いていた時代はいいのですが、
企業がより優秀な人材を求め、個人のもつ実力というか戦力が重要にされる時代になると
いくらいい大学を卒業しても、就職が保障されるということもなくなりました。
そしていよいよバブルがはじけてしまうと、今度は
就職氷河期というのがやってきます。
つまり日本の子供たちは、気の毒に、親の教育幻想に翻弄されたと
言えます。
ざっと戦後の教育の有様を辿ってきましたが、
私が問題だと思のは、
受験勉強という答えのある知識獲得を優先し、
ほんとうは創造性の宝庫である、遊ぶということを、余りできず、
遊びを満喫しなかった子供達の
内面体験と経験の貧しさです。
遊びだけではなく、もうアリとあらゆる経験や体験が
その子どもが成人になった時の糧になります。
人間関係も社会体験もそして遊びの中の様々なことが
その体験と経験と野生的な知識が
それは、遊びの中でこそ、フロー現象があり、
夢中になって遊んでいるときこと、生命の発火があるのです。
ところが受験戦争は
そういう子供時代の遊び体験が希薄になるどころか
たくさんのストレスを子供にかけていきました。
そしてもうひとつ重大な不幸は
自然の中で遊ぶということも、
子どもたちは奪われてしまいました。
私達の子供時代は、大人の介入などありませんでした。
生活に追われていた大人は、子供などほったらかしにしましたから、
そこにはまだまだ自然がたくさんあり、
公園などなくても、子どもたちは野山をかけ巡って遊びました。
なぜ自然の中で遊ぶことが大事かというと
それは、体を使って遊ぶからです。
ジャンジャック・ルソーがの「エミール」では
それには重要な意味があって
子どもはまず、様々な体験や経験をすることの方が大事であり、
実際に体験や経験に裏打ちされた知識こそ、実践的であり
人生の役にたつのです。
逆に先に知識を与えるとと、観念だけでわかったつもりになり、
それは現実に起きる様々なリアル事象に対処できないと考えたからです。
そして残念なことに今の若者達、とくに就職氷河期の人たちは
せっかく受験競争をくぐりぬけてきたのに、
就職もままならない、という現実に直面しました。
彼らのめざした世界はまさに幻想であり、
さらに豊かな遊びの体験も希薄な中、
彼らが夢中になれるのは、
子どもの中の自然な欲求や、自由を抑圧され
その挙句に、自分たちが目指した幻想が消えたとき、
彼らが陥るのが
社会に対しても、人間に対しても、
いじけて、こじれて、ひにくれて、批判ばかりしてしまう。
傍観者として、自分の主体性を放棄するというポジションを取り、
情けない自分を冷笑し、その自分に居直る。
※それがアニメでのおそ松さん現象でもあると私は考えます。
そうなるともう、どこからエネルギーが湧いてくるのでしょうか。
彼らが受け身で、自発性に欠けるのは仕方がないのです。
そういう若者が日本の地下にはたくさん潜在しています。
彼らが成人になった時、もう日本はボロボロで、
バルブがはじけたあとの閉塞感の日々が10年以上も
ありました。
そしてもう一つの大きな原因は
●親の離婚率のたかさです。
親の離婚は当然子供の心に翳をさします。
それが大きなトラウマになり、人間不信にもつながりかねません。
まあ、ざっとほんとに雑駁にかいてきましたが、
ある若者は、私に
人間はいくら親しくしていても自分を裏切る。
他人とちょっとのことで揉めると、手のひらを返したように冷たくなる。
他人のちょっとした言葉で傷つき、すぐシャッターを下ろす、
と言います。
ほんとに今の時代そういう傷ついた若者がたくさんいること。
それが地下に潜り、匿名で自分達の存在を示すという現象にもなっています。
受け身や傍観者の位置で、
自分のエネルギーを創出できず、
どうせ何をやっても、この世の中じゃ何もならない、どうしようもない。
どうせ自分なんてたかが知れていると
無気力になり、
引き籠る。
それは、個々の若者の性格が悪くそうなるのではなく、
自分はどう生きたらいいか、わからない。
自分は何が好きかもわからない。
ゲームや漫画やアニメに夢中になっているときだけ
こころが満たされる。
しかし彼らの本心は
そういう自分をなんとかしたい、したいけど
どうしたらいいのかわからにまま
ドンドン歳を取っていく。
そして私がもっと問題だと思うのは、
情報社会、インターネット社会です。
そこでは、或る種のインタ―ネット成金の人たちが
ほんとはね、人間は
コツコツ自分の世界や
才能を積み上げていくしかないのです。
物事は少しずつしか動かないし
時間をかけてしか、自分の欲しいものは手に入らない。
しかし本当に自分が欲しいものを手に入れるために
まずは行動し、
働くことは生きること。
働きながら、考えて
自分を活かす道を模索する。
10年かけて自分の基礎がデキル。
20年かければ、そこそこの自分になれる。
そこそこの自分になれたら、もっと自分を大切にして
その先の10年を生き、そこまでくれば上出来さ!!
こういうことを大人から教わらなかったのですね。
「山懐に抱かれて」の
自分のこころざしのために、
山地酪農を頑張るお父さん(公雄)さんの姿は
きっと彼らの心に響くにちがいないと思います。
そしてそれをやり続けていくその強さや楽天性も
勉強になると思います。
原則を曲げず、確かに長男は泣いたけれど、
もし、商品に一かけらの傷があるだけで、その価値がなくなることも
お父さんは知ってるから、雪がふっても牛を牧場にほおりだす。
ただ、がんこだけじゃ~ないんだということ。
ものづくりの厳しさを知り抜いているからだね。
残念なことにこの映画の作り手は、
今の若者の現状をしらないらしい。
安易なヒューマンドラマは彼らは受け付けない。
私にすればそこがほんとに残念です。
ただこれだけ頑張ったお父さんとその家族が
ある成功や幸せを手に入れたことだけは
ほんとうらしい。
これから益々、バーチャルで、デジタルな時代になる中
自然と共に、ゆっくりと時間をかけて
自分の納得のいく、自分らしい世界を
あきらめないで築いてゆくこと。
それがどんなに素敵であるかを
この映画は伝えていますが、
ただ、
現代の若者達のほんとうに知りたいことを
省いてしまったのは、とても残念です。
それは今映画を作っている私の課題でもあります。
この映画を作っています。
そのことを含め、次回、書きます。



映画「山懐に抱かれて」には、とても大切なメッセージがあります。
ただ、私から見ると作りての時代感覚の古いところが、
その大切なメッセージを素通りして、
ヒューマンドラマで終わっていると
思います。とても残念です。
しかし私が感じていることは、
なかなか一般的には理解されないと思います。
それをお伝えすることも難しいのですが、
でも頑張って書いてみます。
2「なぜ若者の心が砂漠化しているか」
戦後一番の変化は
階級社会が崩壊し、その代わりに大衆社会へと
社会が変貌していったことです。
中でも教育ということが広く一般までに広がり、
誰でも心ざしがあれば、大学へと進学できるようになりました。
それでも私が中学生の頃は(昭和30年時代)、
半分以上の子供が中学卒業とともに就職し、
高校でも大学に行くのは約2,3割の人でした。
それが時代の進行と共に、大学進学率がドンドン上がり、
今では、ほとんどとは言いませんが、多くの人が大学を目指します。
もともと大学のはじまりは、
明治政府が官僚の人材を育てるために作りました。
つまり社会のリーダーたちを育成するためのものだったのですね。
だから戦前までは、大学生はエリートであり、
出世コースを約束されたのです。
そして、戦後階級社会が解体し、
それまでは上流あるいは裕福層のものだった大学進学が、
一般庶民でも可能になった時、
ひとびとが考えたのは、大学、それもいい大学を卒業すれば、
出世コースに乗れるという単純で短絡した上昇指向です。
その短絡したが親たちが
自分の子供の尻を叩いて勉強をさせ、
何の根拠も保障もないのに
いい大学へいけば、良い就職がデキル・・というような幻想の
社会現象を作り出してしまいました。
その為に子どもたちは勉強が優先され、
学校の成績といいう序列の中に放り込まれ、
遊ぶ時間を失い、ぼ~っとする時間もなく
親に尻をたたかれて、受験戦争の中へと追い込まれました。
まあ、それでも企業の中の、学閥のコネクションが効いていた時代はいいのですが、
企業がより優秀な人材を求め、個人のもつ実力というか戦力が重要にされる時代になると
いくらいい大学を卒業しても、就職が保障されるということもなくなりました。
そしていよいよバブルがはじけてしまうと、今度は
就職氷河期というのがやってきます。
つまり日本の子供たちは、気の毒に、親の教育幻想に翻弄されたと
言えます。
ざっと戦後の教育の有様を辿ってきましたが、
私が問題だと思のは、
受験勉強という答えのある知識獲得を優先し、
ほんとうは創造性の宝庫である、遊ぶということを、余りできず、
遊びを満喫しなかった子供達の
内面体験と経験の貧しさです。
遊びだけではなく、もうアリとあらゆる経験や体験が
その子どもが成人になった時の糧になります。
人間関係も社会体験もそして遊びの中の様々なことが
成人になった人間の、
脳のマザー情報となります。
その体験と経験と野生的な知識が
失敗したり挫折したりしたときの立ち直り力にも関係していきます。
それは、遊びの中でこそ、フロー現象があり、
夢中になって遊んでいるときこと、生命の発火があるのです。
ところが受験戦争は
そういう子供時代の遊び体験が希薄になるどころか
たくさんのストレスを子供にかけていきました。
そしてもうひとつ重大な不幸は
自然の中で遊ぶということも、
子どもたちは奪われてしまいました。
私達の子供時代は、大人の介入などありませんでした。
生活に追われていた大人は、子供などほったらかしにしましたから、
子どもの世界は子供だけで群れて遊びました。
そこにはまだまだ自然がたくさんあり、
公園などなくても、子どもたちは野山をかけ巡って遊びました。
なぜ自然の中で遊ぶことが大事かというと
それは、体を使って遊ぶからです。
ジャンジャック・ルソーがの「エミール」では
14,5歳にになるまで子供に本をあたえません。
そして最初に与えられたのは
「ロビンソン・クルーソー」です。
それには重要な意味があって
子どもはまず、様々な体験や経験をすることの方が大事であり、
その実経験や実体験の後に、本で知識を得て、
そのときに初めて、
経験識と知識が統合されて、
一つのリアル認識へと結実すると考えたからです・・・その通りですね。
実際に体験や経験に裏打ちされた知識こそ、実践的であり
人生の役にたつのです。
逆に先に知識を与えるとと、観念だけでわかったつもりになり、
観念が作り上げた、
実体のない経験として認識されますから、
それは現実に起きる様々なリアル事象に対処できないと考えたからです。
どうでしょうか、日本の子供たちはまるで「エミール」の反対です。
そして残念なことに今の若者達、とくに就職氷河期の人たちは
せっかく受験競争をくぐりぬけてきたのに、
就職もままならない、という現実に直面しました。
彼らのめざした世界はまさに幻想であり、
彼らの就職する時には、消えてしまいました。
彼らが夢中になれるのは、
アニメやゲームや
三次元漫画(妄想漫画)というバーチャルな世界の、
疑似体験です。
子どもの中の自然な欲求や、自由を抑圧され
その挙句に、自分たちが目指した幻想が消えたとき、
彼らが陥るのが
ニヒリズムやシニシズムになるのは、仕方がないのかもしれません。
社会に対しても、人間に対しても、
いじけて、こじれて、ひにくれて、批判ばかりしてしまう。
傍観者として、自分の主体性を放棄するというポジションを取り、
情けない自分を冷笑し、その自分に居直る。
※それがアニメでのおそ松さん現象でもあると私は考えます。
そうなるともう、どこからエネルギーが湧いてくるのでしょうか。
彼らが受け身で、自発性に欠けるのは仕方がないのです。
そういう若者が日本の地下にはたくさん潜在しています。
彼らが成人になった時、もう日本はボロボロで、
バルブがはじけたあとの閉塞感の日々が10年以上も
ありました。
そしてもう一つの大きな原因は
●親の離婚率のたかさです。
親の離婚は当然子供の心に翳をさします。
それが大きなトラウマになり、人間不信にもつながりかねません。
まあ、ざっとほんとに雑駁にかいてきましたが、
ある若者は、私に
人間はいくら親しくしていても自分を裏切る。
他人とちょっとのことで揉めると、手のひらを返したように冷たくなる。
他人のちょっとした言葉で傷つき、すぐシャッターを下ろす、
と言います。
ほんとに今の時代そういう傷ついた若者がたくさんいること。
それが地下に潜り、匿名で自分達の存在を示すという現象にもなっています。
※ ネットの炎上ということも、その一つだと思います。
受け身や傍観者の位置で、
自分のエネルギーを創出できず、
どうせ何をやっても、この世の中じゃ何もならない、どうしようもない。
どうせ自分なんてたかが知れていると
無気力になり、
引き籠る。
引き籠らないでも、
その心は解放されていない。
それは、個々の若者の性格が悪くそうなるのではなく、
私達の社会がそういう彼らを産んでしまったのです。
自分はどう生きたらいいか、わからない。
自分は何が好きかもわからない。
ゲームや漫画やアニメに夢中になっているときだけ
こころが満たされる。
しかし彼らの本心は
そういう自分をなんとかしたい、したいけど
どうしたらいいのかわからにまま
ドンドン歳を取っていく。
そして私がもっと問題だと思うのは、
情報社会、インターネット社会です。
そこでは、或る種のインタ―ネット成金の人たちが
幅を利かしています。
所謂一獲千金への願望が、はびこってしまっている。
ほんとはね、人間は
コツコツ自分の世界や
才能を積み上げていくしかないのです。
●人生の成功は時間にあります。
長い時間をかけて自分の人生を作り上げていくのです。
物事は少しずつしか動かないし
自分の実績も少しずつしか積もらない。
時間をかけてしか、自分の欲しいものは手に入らない。
しかし本当に自分が欲しいものを手に入れるために
まずは行動し、
自分の能力を曳き出すためには、
働こう!
働くことは生きること。
働きながら、考えて
自分を活かす道を模索する。
10年かけて自分の基礎がデキル。
20年かければ、そこそこの自分になれる。
そこそこの自分になれたら、もっと自分を大切にして
その先の10年を生き、そこまでくれば上出来さ!!
受験のために尻を叩かれたけれど、
こういうことを大人から教わらなかったのですね。
「山懐に抱かれて」の
自分のこころざしのために、
山地酪農を頑張るお父さん(公雄)さんの姿は
きっと彼らの心に響くにちがいないと思います。
そしてそれをやり続けていくその強さや楽天性も
勉強になると思います。
原則を曲げず、確かに長男は泣いたけれど、
そこはどうしても貫かなければならないビジネスの鉄則がある。
もし、商品に一かけらの傷があるだけで、その価値がなくなることも
お父さんは知ってるから、雪がふっても牛を牧場にほおりだす。
ただ、がんこだけじゃ~ないんだということ。
ものづくりの厳しさを知り抜いているからだね。
残念なことにこの映画の作り手は、
今の若者の現状をしらないらしい。
彼らが一番嫌なのは、
●昭和や平成の家族幻想であること。
安易なヒューマンドラマは彼らは受け付けない。
私にすればそこがほんとに残念です。
ただこれだけ頑張ったお父さんとその家族が
ある成功や幸せを手に入れたことだけは
ほんとうらしい。
それは
●彼らがアナログに生きたからです。
これから益々、バーチャルで、デジタルな時代になる中
自然と共に、ゆっくりと時間をかけて
自分の納得のいく、自分らしい世界を
あきらめないで築いてゆくこと。
それがどんなに素敵であるかを
この映画は伝えていますが、
ただ、
現代の若者達のほんとうに知りたいことを
省いてしまったのは、とても残念です。
それは今映画を作っている私の課題でもあります。
●私は若者達や、
次の時代を作る人々のために
この映画を作っています。
そのことを含め、次回、書きます。

能勢監督と篠田カメラマン、米粒のようなのがそうです。

監督と私です。…お婆さんです!・・・笑!

by denshinbashira
| 2019-07-22 05:21
| 映画の中から自由奔放に読み取ってみよう!
|
Comments(1)
若者の、こころの解析、同感です。
若者のこころの方向で、勇気くずしをしないように、
注意、対応したいものです。
若者のこころの方向で、勇気くずしをしないように、
注意、対応したいものです。
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