京都アニメ制作社放火犯はなぜ、会社の床に油をまき、 会社そのもの、 つまり建物も社員をもを攻撃しようとしたのかについては疑問が起きます。 |
会社そのもの、
つまり建物も社員をもを攻撃しようとしたのかについては疑問が起きます。
つまり彼はアニメ会社の誰か個人をターゲットにしたかったのか?
それとも
京都アニメという会社の存在そのものを消したかったのか?
というところに、疑問がわくのです。
おそらく彼は、京都アニメの会社そのものの存在が
気に食わなかったのではないかと、思っています。
つまり放火犯は、
何らかのことが原因で、
京都アニメが作り出す作品や世界に、怒りや裏切りの恨みなどを
抱いたのではないか、と思うのです。
これも私の勝手な推理であり、
全く的外れな分析かもしれませんが、
もしかしたら、何か時代が持つ、
目には見えない深刻な問題かもしれないので、
一応書いてみます。
最初に断っておきますが、私は決して日本のアニメや漫画やゲームの文化を
否定するのではありません。
むしろ、その文化こそが日本の若者の知性を育てたとも思っています。
ただ、それはいわゆる<仮想世界>がベースの文化であり、
脳の観点から思うと、その<仮想>があまりにもゆきすぎて
実在の世界を凌駕している現状の中にある、危険性を、
思うのです。
実在の世界の退屈さや、俗世の退廃に比べれば、
仮想世界のほうが、はるかに面白く、希望に満ちています。
しかしそれは、あくまでも仮想の世界であるのです。
戦後教育と経済優先の社会は、
陳腐な出世と上昇幻想
(良い大学に行き良い会社に行けば幸せになれという幻想)と
金優先の価値観や思想を形成してしまいました。
そこで起きてきたのは、
伝統的な日本の社会観や人間観とその関係性が壊れ、
モラルのハザードや、
利害優先や、ニヒルな個人主義が蔓延していきました。
それらは、そういう社会観を持ってしまった大人たちの<被害者>として、
子供たち、そして若者たち本来の
人間性や自然性を歪めてきたと思います。
その結果、若者たちのある一定の層において、
社会に対する懐疑や、反発や批判、
現実逃避や引きこもりや、さらには、人間不信という
自分たちの存在する社会や人間とその未来に対しての
失望や絶望と敵意を植え付けてしまいました。
その若者たちの受け皿として、
彼らが深呼吸し、自分を投入できたのが、
漫画やアニメやゲームの世界であったと私は思います。
そこは現実とは違う、夢や冒険があり、スリルがあり、
日頃の憂さを吹き飛ばす、戦いや暴力すらがあります。
抑圧された若者が、自己回復できる、唯一の空間世界であったと思います。
そこに逃げ込んだ若者たちは
現実に背を向け、その反対に
いよいよその仮想、バーチャル世界へとのめりこんで行きました。
さらにその若者たちだけの意識空間を形成し、
それは、かなりの若者を吸い込み
社会の中、それも地下の中のある層になっています。
そして、その若者たちは
社会の表層へは、出ることを警戒しているために、
うかつな大人たちの眼には見えません。
人間の脳は仮想をしながら、自己決定をして生きています。
その仮想が、
健康な客観性を育てるのでもありますが、
仮想が過剰になると、心理の中に妄想となってしまいます。
妄想とは仮想が病的なまでに、その人間の心理を冒してしまうことです。
前回でも書きましたが、
残念ながら、日本では
現実逃避をして、妄想を膨らませる、ということが
若者の文化として浸透していきました。
しかし、それはとても危険なことであり、
妄想ばかりをいじくるようになると、
京都アニメの放火犯も、
もしかしたら、その層に帰属する若者であったかもしれないな~と
私は思うのです。
だから彼は、自分の仮想(妄想)の夢が破れたとき、
その仮想世界を代表する京都アニメ制作会社そのものを
放火して消したかったのではないかと。
放火犯が抱いていた、自己実現の可能性や
夢を託したアニメ会社に、
自分が裏切られた、切り捨てられたという
<被害妄想>に
彼は取り込まれたのかもしれない。
これも、私の仮想の推測と分析ですが、そう思うのです。
妄想と現実とをしっかりと線引きするには、
現実の社会に実際にかかわり、
そこでさまざまな事象や人間関係に揉まれ、
傷ついたたり、失敗したり、挫折する中での体験や経験こそが、
その線引きをできる<理性や知性>>を育てるのです。
つまり仮想の世界はあくまでも仮想であり、
実はそれも泡のようにはかないものなのですが、
日本では社会の中で、
その仮想文化があまりにも存在感を極めだしたために、
その泡のようなはかないものである、という認識が霞んでしまい、
逆に大きな力や影響をもってしましました。
そして
若者の社会を覆いこんでしまっている、と、
私は思います。
仮想現実が、あたかも実社会でも可能であるかのような
錯覚に、陥ってしまっている。
しかし、
仮想をベースにした漫画や映画が益々若者の中ではやる現代の現状は
どこかで、その仮想バブルがはじけるのも、必定です。
もし仮想バブルがはじけたら、
若者は現実の、薄汚れて、希望すら見当たらない世界へ
帰らざるを得ない。
しかし、若者よ、
日本の現実は、
君たちが見ているように、
薄汚れた欲望と、茶番ばかりを演じ、
自分たちの利害ばかりに固執する身勝手な大人たちばかりではない。
そして君たちの頭の上で、のさばっている醜悪な大人も
もうすぐ死に絶えていきます。
戦後社会を形成してきた人間の層と文化も
もう終わります。
さらに、もうすぐそこには、
人工知能とデジタルの時代が迫っている。
そして、脳の解明が進むと共に、
その仮想世界が、あり得ない、ただの想像でしかないことが
証明されていくでしょう。
その厳しい現実を
これからも生きる若者は
どう生きるのか?
今日はここまでです。
つづく!
宝物はみだりに人に見せびらかすのではない
見せる相手をよく考えること
自身の考えです。
こちらで何度もコメントをさせていただいておりますが、
こちらで初めて書くことがほとんどであることを
お伝えさせていただきます。
つわぶき 秋から冬にかけて咲く花ですよね。
気象がおかしいのでしょうか。 不思議です。