2019年 08月 25日
これはある青年から来たメールです。 彼への答えを書きます。その2無色透明な自分とは |
2.無色透明な自分について
無色透明な自分とは、
●生まれる前の自分は無色透明なのです。
つまり生まれたとたんに、人間は人間界が作り出す欲望の何かに,
染まってゆくということです。
生まれる前は、人間の脳には意識や言葉がない、ということです。
生まれる前は、人間社会での体験も皆無です。
あるのは、その人間が遺伝的にもっている、生命体としての傾向、
感覚や体形や、反応の体系です。
貴方の両親から遺伝的に受け継いだもろもろのことです。
例えば手足が長いとか短いとか
内蔵が強いとか、弱いとか、
また感情が激しいとか、おとなしいとか、
不安傾向が強いとか、反対に神経が太いとか。
何かに敏感に反応するとか、しないとか。
五感の体系で、味にに敏感とか、匂いや音に敏感とか鈍感とか・・・。
まあ、そういうもともと遺伝的に受け継いだ
いきもの、動物としての、貴方の独特の反応現象があると思いますが、
いわゆる意識として、言葉で明文化されたものはありません。
いわゆる意識=頭の中をめぐるもろもろの言葉世界は
生まれてから、書き込まれてゆくのです。
つまり、その人間をめぐる周囲の人間の文化が
書き込まれてゆきます。
だからこそ、それはその人間の周囲の人間が、
何をどのように思い込み、
意識として持っているかが、
影響していきます。
貴方の場合は、
親がもっていた、学歴重視や階層意識がもろ
貴方の中に書き込まれて(刷り込まれて)しまった為に
とても苦しみましたね。
しかし、それは貴方の親と周囲、さらにその社会が
自分たちの願望や欲望を、
意識に転換してしまったものでしかありません。
そういう欲望が先行して作られる<幻想の色眼鏡>が
社会の中には蔓延しています。
例えば、
学歴重視の人のほとんどが、
自分で学問を究めていく、といことが、
いかに大変な労力と努力が必要であるを
経験していませんから、
きわめて単純に子供に課してしまうのです。
つまり、自分が体験していないから、
あたかも、学歴や階層意識で、
社会での成功や幸福が手に入るような勘違いをして、
●単純に●短絡的に思いこむのです。
なぜ、そう思い込むかは、昨日書いたように
どんな人間も未熟で、発展途上だからです。
さらに多くのひとびとは
残念ながら単純で、短絡的だからです。
※頭の中(脳)が複雑な思考を持ち、短絡しなくなるには、
たくさんの教養を積むことが必要です。
残念ながら人間は、自分が体験、経験していないことに対しては、
その大変さを想像できないのです。
さらに、なぜ単純で、短絡的かというと、それは
自分を相対化する能力に欠けているからです。
自分を相対化して見る、という能力はなかなか難しいのです。
※自分を相対化するには、他者や社会をも相対化し、厳しく見つめ、
そのうえで、冷静に自分を分析する、という
高度の脳テクニックです。
それは
無色透明な自分というのは
そういう生まれてからの、人間が作り出す意識や文化に
●汚染されていない自分ということです。
人間社会が作り出す、
人間のエゴの欲や欲望の、汚れた意識ではない自分、とい
いうことです。
※あえて汚染という言葉をつかったのは、
そういう通俗的なことは、ほとんどろくなことがないからです。
無色透明な自分というのは、
汚染された色眼鏡で社会を見ず、
反対に自分の中に浮かんでくる感性や感覚に対して
素直に、正直であり、
赤んぼのように純真な心の状態です。
そして、
自分の夢や、希望を叶えるためには
・気が遠くなるほどの努力や、
・何年もの時間が必要です。
また、たくさんの本を読み、多くの知識を学習して、
多くの人はそういうことを抜かしてしまいます
だから
単純に、欲望を膨らませるのです。
※自分の脳の中の内容が分かることが
等身大の自分を理解することでもあります。
それは、自分の今の限界をしることでもあります。
このことは4の自我の覚醒の時に書きます。
自分の脳の中がたくさんの体験や経験を積み、
その記憶の層が幅広くなり、
さらにたくさんの教養にあふれて複雑になっていけばいくほど、
人間とはなにか、社会とはなにかが見えてきます。
そうなると、社会に渦巻く欲望、つまり人間の意識の汚れがいかに
その人間の才能を疎外するかが分かってきます。
※このことは次回書きます。
無色透明な自分とは、
物事を社会の色眼鏡で見ていない状態の自分です。
謙虚な心の状態です。
つまり
子供のように、
・無心で、純粋な心の、状態のことです。
・物事をいじけたり、ひねくれたり、こじらせたりしない自分です。
逆に
・何かに感動したり、喜んだりする自分です。
・いろんなことを発見したり、
・あるいは面白いことがひらめいて、ジャンプする自分です
最後に
・頭の中で自分をこねくりすぎています。
いわば頭でっかちの、観念が先行している状態です。
・楽天的にのんきになること。
●今のわからない自分をそのまま受け入れること。
そして
・廻り道をたくさんすることです。
・遊ぶこと。
・面白いことを探すこと。
・焦らないこと。
人生の成功は、60、70歳くらいになると見えてきます。
それは、
60、70歳の自分が、幸せを感じているか。
です。
そして何が幸せであるかは、
次回は、3、才能は無意識から湧いてくるです。

無色透明な自分とは、
●生まれる前の自分は無色透明なのです。
つまり生まれたとたんに、人間は人間界が作り出す欲望の何かに,
染まってゆくということです。
生まれる前は、人間の脳には意識や言葉がない、ということです。
生まれる前は、人間社会での体験も皆無です。
あるのは、その人間が遺伝的にもっている、生命体としての傾向、
感覚や体形や、反応の体系です。
貴方の両親から遺伝的に受け継いだもろもろのことです。
例えば手足が長いとか短いとか
内蔵が強いとか、弱いとか、
また感情が激しいとか、おとなしいとか、
不安傾向が強いとか、反対に神経が太いとか。
何かに敏感に反応するとか、しないとか。
五感の体系で、味にに敏感とか、匂いや音に敏感とか鈍感とか・・・。
まあ、そういうもともと遺伝的に受け継いだ
いきもの、動物としての、貴方の独特の反応現象があると思いますが、
いわゆる意識として、言葉で明文化されたものはありません。
いわゆる意識=頭の中をめぐるもろもろの言葉世界は
生まれてから、書き込まれてゆくのです。
つまり、その人間をめぐる周囲の人間の文化が
書き込まれてゆきます。
だからこそ、それはその人間の周囲の人間が、
何をどのように思い込み、
意識として持っているかが、
影響していきます。
貴方の場合は、
親がもっていた、学歴重視や階層意識がもろ
貴方の中に書き込まれて(刷り込まれて)しまった為に
とても苦しみましたね。
しかし、それは貴方の親と周囲、さらにその社会が
自分たちの願望や欲望を、
意識に転換してしまったものでしかありません。
そういう欲望が先行して作られる<幻想の色眼鏡>が
社会の中には蔓延しています。
例えば、
学歴重視の人のほとんどが、
自分で学問を究めていく、といことが、
いかに大変な労力と努力が必要であるを
経験していませんから、
きわめて単純に子供に課してしまうのです。
つまり、自分が体験していないから、
あたかも、学歴や階層意識で、
社会での成功や幸福が手に入るような勘違いをして、
●単純に●短絡的に思いこむのです。
なぜ、そう思い込むかは、昨日書いたように
どんな人間も未熟で、発展途上だからです。
さらに多くのひとびとは
残念ながら単純で、短絡的だからです。
※頭の中(脳)が複雑な思考を持ち、短絡しなくなるには、
たくさんの教養を積むことが必要です。
残念ながら人間は、自分が体験、経験していないことに対しては、
その大変さを想像できないのです。
さらに、なぜ単純で、短絡的かというと、それは
自分を相対化する能力に欠けているからです。
自分を相対化して見る、という能力はなかなか難しいのです。
※自分を相対化するには、他者や社会をも相対化し、厳しく見つめ、
そのうえで、冷静に自分を分析する、という
高度の脳テクニックです。
それは
●教養を積まないと、なかなかできません。
たぶん多くの人はそんなことなどまるっきり 関係なくいきています。
無色透明な自分というのは
そういう生まれてからの、人間が作り出す意識や文化に
●汚染されていない自分ということです。
人間社会が作り出す、
人間のエゴの欲や欲望の、汚れた意識ではない自分、とい
いうことです。
※あえて汚染という言葉をつかったのは、
そういう通俗的なことは、ほとんどろくなことがないからです。
無色透明な自分というのは、
汚染された色眼鏡で社会を見ず、
反対に自分の中に浮かんでくる感性や感覚に対して
素直に、正直であり、
赤んぼのように純真な心の状態です。
そして、
自分の夢や、希望を叶えるためには
・気が遠くなるほどの努力や、
・何年もの時間が必要です。
また、たくさんの本を読み、多くの知識を学習して、
・自分の脳の内容を豊富にする必要があります。
多くの人はそういうことを抜かしてしまいます
だから
単純に、欲望を膨らませるのです。
※自分の脳の中の内容が分かることが
等身大の自分を理解することでもあります。
それは、自分の今の限界をしることでもあります。
このことは4の自我の覚醒の時に書きます。
自分の脳の中がたくさんの体験や経験を積み、
その記憶の層が幅広くなり、
さらにたくさんの教養にあふれて複雑になっていけばいくほど、
人間とはなにか、社会とはなにかが見えてきます。
そうなると、社会に渦巻く欲望、つまり人間の意識の汚れがいかに
その人間の才能を疎外するかが分かってきます。
※このことは次回書きます。
無色透明な自分とは、
物事を社会の色眼鏡で見ていない状態の自分です。
謙虚な心の状態です。
つまり
子供のように、
・無心で、純粋な心の、状態のことです。
・物事をいじけたり、ひねくれたり、こじらせたりしない自分です。
逆に
・何かに感動したり、喜んだりする自分です。
・いろんなことを発見したり、
・あるいは面白いことがひらめいて、ジャンプする自分です
最後に
貴方は、
・自分をいじくりすぎています。
●自分への要求度がたかすぎる。
・頭の中で自分をこねくりすぎています。
いわば頭でっかちの、観念が先行している状態です。
それを克服するには、
・もっとあっけらかんと生きること。
・楽天的にのんきになること。
・分からないことは、わからにままにしておくこと。
逆に、
・自分は、何もわかっていないんだな~と気づくことこそが
大切なのです。
つまり
●今のわからない自分をそのまま受け入れること。
そして
・廻り道をたくさんすることです。
・いろんなところに出かけて見分を広めること。
・いろんな人に会うこと。
・遊ぶこと。
・面白いことを探すこと。
・焦らないこと。
人生の成功は、60、70歳くらいになると見えてきます。
それは、
60、70歳の自分が、幸せを感じているか。
そして
●周囲の人間を幸せにしているか。
です。
そして何が幸せであるかは、
その人が、
自分で考えることです。
次回は、3、才能は無意識から湧いてくるです。

カンナが咲きました!
映画「どこかに美し村はないか」
~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~
予告編です。
大勢の人に見ていただきたいので、
拡散をお願いいたします。
行きすぎた文明の針を、少しだけ戻しませんか。
児玉房子さんのガラス絵と、茨木のり子さんの詩をもとに
私たちは、人間として、何を失ってはならないかを映像詩にしました。
by denshinbashira
| 2019-08-25 09:18
| カウンセリングノート
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