AIが支配するようになると、大半の人間は無用になる。 |
教えてくれました。

あゝ、やっぱりそうか、と私は思いました。
実はこの映画を撮ろと決心したのは、
AI時代になったら、とんでもないことが起きると
危惧したからです。
私は20年前くらいからずーっと、脳のことを独学で勉強してきました。
つまり、これからは脳の時代になると、考えたからです。
だからこそ、学者でもない私は、私の言葉でそれを書いてきました。
AIの時代になると、とんでもないことが起きる。
それは人々の予想をはるかに超えた、AIテクノロジーの世界です。
そもそもAIコンピューターは、人間を超えられないということが言われていたのですが、
しかし今はAIコンピューターが人間を超える、いわゆる<シンギュラリティー>が
起きようとしています。
<シンギュラリティー>とは
AIが人間の知能をこえたときの現象をいいます。
それはあと20年~25年の間に起きると言われています。
<シンギュラリティー>が起きると、
もう人間が主役ではなく、AIコンピューターが主役の社会が
始まってしまうのです。
コンピューターではできないといわれていた、
人間の意識と無意識とが作り出す抽象的世界である音楽や芸術さえも、
AIが作り出すことができるようになるのです。
つまり<シンギュラリティー>が起きると
無意識の世界さえもコンピューターがはじき出すことが
できるようになるのです。
それは利便性や生産性の極地のような夢の世界かもしれません。
バイオ技術による、人間の100歳時代の始まりかもしれません。
しかし、一方で、
人間不用の世界が始まるかもしれません。
大量の失業者が出るでしょう。
ますます世の中が人工化されていく中で、人間と自然との乖離が進むでしょう。
その時、自然から疎外された人間の精神はどうなるのか。
それがすぐそこまで来ているのに、
日本の人々があまりにも鈍く、無関心であることがほんとうに心配です。
それで、この映画をつくりました。
AI時代がくると、うかうかしていると、とんでもないことが起きる。
さらに私が懸念するのは、
AIに人間の脳が代理されるのと比例して、
◎ 人間の脳の劣化がおきるのではないか、という懸念です。
人間が働くということは、その脳の能力を創出することにつながります。
それがAIに代理されていくと、
一部の人間を除いて
恐ろしいほどに、人間の脳が退行するのではないかという懸念です。
●人間は頭と体を使って働かせていないと、脳は停滞してしまう。
もう、すでにそれがはじまっているような気もします。
AI時代が始まり、もう社会の景色がずっかり変わってしまったとき、
私はそれを懸念したこの映画を作りました。
だからまずは
●まだまだ労働の主役が人間であり、
●人間の労働がオマージュされていた時代の風景を
工業の世界は、ほとんどAI支配になるでしょう。
しかし、農業の世界は、まだまだそこに
●自然との協働の世界があります。
そこには救いのように
AIテクノロジーとは対極にある
●<自然栽培>という農法をやろうとしている人々がいました。
そこには、
●人間の手で作る、人間しか作れない作物の世界があります。
人間の労働の代償でしか作れない、農作物です。
そのほとんどが人間の手で作られる農作物の世界です。
行きすぎたテクノロジー世界のアンチとして、
この映画を作っています。
AI時代になったとき、
農業さえも工業化されていくでしょう。
その時、今の地方の田園風景が一変し、消えていくかもしれません。
だからこそ、今私にできるのは、
これからのAI時代を生きねばならない人のためのヒントとして
この美しい田園の風景と、そこで生き、働く人々の姿を
映像で、かつ詩のように、絵のように、音楽のように
残りしておきたいと、思ったからです。
AI時代を行きすぎたテクノロジー文明の加速させないで、
人間が失望し、絶望しない時代にするために、
一緒に考えましょう。