2019年 09月 12日
AIが支配する時代に、最もアナログなものを対峙させる! |
ほんとうは皆さんを不安にしたくないので、
これまで、シンギュラリティーのことは書かずにおりました。
でも、もうそれぞれが考えなければならない時期にきていると
思います。
AI時代を迎える中、私達は、
ハメルンの笛吹きに操られたネズミのように
私たちは知らない間に、
どんどんその中に連れ込まれてしまうのでしょうか・・・?
そうならないことを考えるためには、
・人工知能にはできないことで、
・人間だけができることはなにか?
また・人間のほんとうに望んでいることは何かを、
しっかり考えておく必要があります。
おそらく人工知能は、皆さんが想像しているより遥かに
高い能力と生産性を発揮してくると、思います。
バイオ技術とセットになって、
とんでもないことが起きる可能性もあります。
芸術や音楽の部門まで、AIは、やりきっていくと思います。
ほとんどの分野でAIの支配が起きてくるとき、
●最もアナログで、人間の手でしかできないようなものを、
あえて
●その対極に置いておかねば、危ないな~と私は考えます。
そういうバランスをとっておかないと、
どんどんAI時代が一人で進行していくと思います。
この映画では、
そういうことの担保として、
農業の<自然栽培>を置きました。
そのほかにも、
●人間でしかできないこと、
●人間でしか、作りえないものを
対峙させて置かねば、と思います。
自然栽培は、文明による化学資材を一切使いません。
逆に、ほとんどを自然の成り行きに任せる、という農法です。
人間は作物に寄り添い、その自然の循環を、少しだけ補佐するという感じです。
有名なのは<木村秋則>さんの軌跡のリンゴです。
例えば、
・いったん化学肥料や農薬に汚染された土地を3~5年かけて耕作放棄をし、
それらを抜いて土壌本来の生命力を回復させます。
・土は粗く耕し、地中の微生物やミミズや虫などの関係性を壊さないようにします。
・肥料は一切施さず、土壌の微生物による活性化に任せます。
・地上の草や虫をはじめ、さまざまな自然の生態系を大切にし、その循環に任せます。
・作物や果樹がもつ生命力や免疫性を大切にし、
病気に対しても作物、果樹の天然の自浄作用や免疫力に任せます。
・また害虫も益虫との自然淘汰に任せます。
化学肥料や農薬や除草罪などの化学資材によって壊れた自然の循環を
もとに戻し、
●人間の労働と、自然の力を協働させて、共に生き延びてゆくために農法です。
<自然栽培>だけではなく、
これまでの
●人間の労働から生まれた、
素晴らしい伝統技術や生活技術の中にも、
行きすぎたテクノジーに対峙させるものがたくさんあるでしょう。
機械やロボットにはできないことです。
それらが消えていかないためには、
それらを単なる<記念物>にしないで、
し続けて、製品化して、ブランド化して、
社会の中の実践としてやり続けることだと思います。
人間は人間の都合と勝手で、ずいぶん自然を歪めてきました。
もうこれ以上のことは、慎み差し控えないと、と思いますが。
もしかしたら、今度は気象すら、コントロールしようとするかもしれませんね。
※中国で雨を降らすために、雲にロケットを打ち上げたように。
明治の文豪夏目漱石は小説<行人>の中で、
「人間の不安は科学からくる。
進んで止まる(とどまる)ことを知らない科学は、
かつて我々に止まることを許して呉れたことがない。
徒歩から俥(人力車)、俥から馬車、馬車から汽車 汽車から自動車
それから航空船、それから飛行機と、
何処まで行っても休ませて呉れない。
何処まで伴れて行かれるか分からない。
実に恐ろしい」
と書いています。
私は科学を否定するものではありません。
しかし、今となっては、この漱石の言葉が実感として
重いです。
人工知能も、人間が作り出したものです。
ということは、
●人間は自分たちが、何を作り出すかを
考えねばならないのです。
●科学さえも、しっかりとその手綱を握り、
人間の幸福とは何か、
そのために
何をすべきかを、
人間世界と社会をどうするか。
何を選択し、何を選択しないか、を
私は思います。
明日からまた遠野にゆきます。
今度は田んぼ一面に広がり、風に揺れる黄金の稲穂を
撮ってきます。
拡散をお願いいたします。
これまで、シンギュラリティーのことは書かずにおりました。
でも、もうそれぞれが考えなければならない時期にきていると
思います。
AI時代を迎える中、私達は、
ハメルンの笛吹きに操られたネズミのように
私たちは知らない間に、
どんどんその中に連れ込まれてしまうのでしょうか・・・?
そうならないことを考えるためには、
・人工知能にはできないことで、
・人間だけができることはなにか?
また・人間のほんとうに望んでいることは何かを、
しっかり考えておく必要があります。
おそらく人工知能は、皆さんが想像しているより遥かに
高い能力と生産性を発揮してくると、思います。
バイオ技術とセットになって、
とんでもないことが起きる可能性もあります。
芸術や音楽の部門まで、AIは、やりきっていくと思います。
ほとんどの分野でAIの支配が起きてくるとき、
●最もアナログで、人間の手でしかできないようなものを、
あえて
●その対極に置いておかねば、危ないな~と私は考えます。
そういうバランスをとっておかないと、
どんどんAI時代が一人で進行していくと思います。
この映画では、
そういうことの担保として、
農業の<自然栽培>を置きました。
そのほかにも、
●人間でしかできないこと、
●人間でしか、作りえないものを
対峙させて置かねば、と思います。
自然栽培は、文明による化学資材を一切使いません。
逆に、ほとんどを自然の成り行きに任せる、という農法です。
人間は作物に寄り添い、その自然の循環を、少しだけ補佐するという感じです。
有名なのは<木村秋則>さんの軌跡のリンゴです。
例えば、
・いったん化学肥料や農薬に汚染された土地を3~5年かけて耕作放棄をし、
それらを抜いて土壌本来の生命力を回復させます。
・土は粗く耕し、地中の微生物やミミズや虫などの関係性を壊さないようにします。
・肥料は一切施さず、土壌の微生物による活性化に任せます。
・地上の草や虫をはじめ、さまざまな自然の生態系を大切にし、その循環に任せます。
・作物や果樹がもつ生命力や免疫性を大切にし、
病気に対しても作物、果樹の天然の自浄作用や免疫力に任せます。
・また害虫も益虫との自然淘汰に任せます。
化学肥料や農薬や除草罪などの化学資材によって壊れた自然の循環を
もとに戻し、
●人間の労働と、自然の力を協働させて、共に生き延びてゆくために農法です。
<自然栽培>だけではなく、
これまでの
●人間の労働から生まれた、
素晴らしい伝統技術や生活技術の中にも、
行きすぎたテクノジーに対峙させるものがたくさんあるでしょう。
機械やロボットにはできないことです。
それらが消えていかないためには、
それらを単なる<記念物>にしないで、
そこからの生産をし続けることです。
※手工業や家内工業などを、何とか工夫して、生き延びらせることです。
し続けて、製品化して、ブランド化して、
社会の中の実践としてやり続けることだと思います。
人間は人間の都合と勝手で、ずいぶん自然を歪めてきました。
もうこれ以上のことは、慎み差し控えないと、と思いますが。
もしかしたら、今度は気象すら、コントロールしようとするかもしれませんね。
※中国で雨を降らすために、雲にロケットを打ち上げたように。
明治の文豪夏目漱石は小説<行人>の中で、
「人間の不安は科学からくる。
進んで止まる(とどまる)ことを知らない科学は、
かつて我々に止まることを許して呉れたことがない。
徒歩から俥(人力車)、俥から馬車、馬車から汽車 汽車から自動車
それから航空船、それから飛行機と、
何処まで行っても休ませて呉れない。
何処まで伴れて行かれるか分からない。
実に恐ろしい」
と書いています。
私は科学を否定するものではありません。
しかし、今となっては、この漱石の言葉が実感として
重いです。
人工知能も、人間が作り出したものです。
ということは、
●人間は自分たちが、何を作り出すかを
考えねばならないのです。
●科学さえも、しっかりとその手綱を握り、
人間の幸福とは何か、
そのために
何をすべきかを、
人間世界と社会をどうするか。
何を選択し、何を選択しないか、を
考えなければならない時代が、
もうそこまで来ているということだと
私は思います。
明日からまた遠野にゆきます。
今度は田んぼ一面に広がり、風に揺れる黄金の稲穂を
撮ってきます。
映画「どこかに美しい村はないか」
~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~
予告編です。
●いつもお世話になっている宿、やまがら文庫さんの動画ができましたので、
どうぞ!
http://www.tonotv.com/members/yamagara/
こちらは、英語版です。
by denshinbashira
| 2019-09-12 06:10
| 遠野の映画撮影日記
|
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