2019年 09月 23日
シリーズ「AI時代をいかに生きるか」その2、私たち(人間)はどこへ行こうとしているのか? |
前回、近代テクノロジーの歴史を横断して
三つの大革命を書きました。
1.18世紀の産業革命
2、インターネットによる情報革命
3、AI(人工知能)テクノロジーによる脳の代理が始まる革命
それらを今度は二つの視点から見てみましょう。
一つは、人間の<脳と体>の視点から
もう一つは<人間の幸せ>という視点から。
<脳と体>の視点からみると
産業革命により、体はずいぶん楽になりました。
そして脳は、科学を駆使して、
自然と物を人間がコントロールするという
脳にとって素晴らしい脳の黎明の時がはじまりました。
脳はその本領を発揮して、どんどん利便性や生産性を高める発明をし、
人間は夢のような物質世界を手にいれました。
そしてインターネット社会になると、人間は、世界も手に入れました。
つまり、世界の情報を手に入れ、
オフィスに座っていれば、世界と交流できます。
さらにワザワザ動かなくも
インターネットから必要なものを買うこともできます。
しかしそれは
●脳が作り出す虚構の世界が、
今度はインターネットの中で
作られ始めたということでもあるのです。
そして残念ながら、ここから脳主導の世界がはじまりました。
そして
体はどんどん置いて行かれます。
つまり
脳が作り出すネットワークの中で、人間は買い物をし、
生活用品を整え、仕事も脳のネットワーク(インターネット)上で請け負われます。
つまりインターネット社会とは
それまでは、ひとりひとりの脳のカプセルの中にあった情報が、
インターネットによってどんどん開示され、集積されていく社会です。
それと同時に
人々の脳情報は、インターネット世界(社会)の中でどんどん集約、集積され、
今度はそれが主体となり、
インターネット上の虚構世界が生まれ、
そこでの価値を生み出していきます。
その時残念ながら、
人間はハメルンの笛吹きにつれていかれたネズミのように
自分が知らないうちに、脳が支配する世界(社会)へと連れこまれてゆきます。
では、脳が主体する世界とはなにか?
それは仮想(バーチャル)世界です。
つまり、脳が作り出す●虚構世界です。
※なかなか分かりにくいと思いますが、
脳がバーチャル世界である、ということを、
ひとつ押さえておいてくださいね。
サピエンス全史を書いたユヴァル・ノア・ハラリ氏によると、
人間の歴史は、
自分たちの脳が作り出す<虚構>世界を文明として理念化し
それを信じて、生き続けているということです。
お金や、国家や、宗教や、人権や、法人などなどの
たくさんの虚構を作り、信じて、生き続けてきたということです。
私たち人間は、
その虚構で、ひとくくりされ、
その共同性の中で、物事を考え、行動していると
いうことです。
その虚構世界が作り出した現実と実際の現実との落差や確執の中で
人間は格闘して、生きているのです。
戦争も人間が作りだした国家という虚構の負の世界を信じて
人々は命を落とした(ささげた)のです。
宗教の神という虚構を信じて、マインドコントロールをうけ
時に民族は争うのです。
※このブログでは度々宗教も神も人間が作り出したものだと
書きました。
個々人も、その脳が思い込み、作りだす虚構世界と
実存的な●自分の自然性(自分の現実)とのはざまの中で
苦しみ、もがくのです。
しかし
断っておきますが、
<虚構>も決して悪いものではありません。
大勢の人間が、力を合わせ、共存していくために
虚構は必要です。
人間は同じ虚構を信じながら、
そこに指標を結び、それを手掛かりに
集団で生き延びてきたのですから。
もう、お分かりですね。
脳は、その虚構世界、つまり本当は実態のない仮想世界を想定しては、
それを手掛かりに、様々なものを発見し、発明し、
自分を達を幸福にするために、文明を創造し、
進化させてきたのです。
※そこに脳の凄さがあるのです。
産業革命は、動力というエネルギーを獲得しました。
それ以来、人間は
●自然のエネルギーや
●自然の摂理さえも、
コントロールしようとする歴史が始まったのです。
産業革命以来、人間はそれまでの農業社会から一転して
工業社会へと驀進し始めました。
それは、人間が自分でエネルギーと物を作り出す世界で、
科学や化学を駆使した、たくさんの宝物を生み出してくれました。
農業社会では、その重労働からも解放されましたし、
人間が作り出すテクノロジーの産物は、
まるで奇跡のように、
快適で、清潔で、豊かな物質に囲まれる暮らしを
実現してくれました。
ただね、そこまでは、人間と自然とが協働する世界、
人間の労働が、物を作り出す世界があったのですよ。
しかし、インターネット社会になると、
今度は話が違ってきました。
確かにインターネット社会では、
それまで一部の人間に独占されたいた情報が
庶民へと解放されました。
しかし、一方では、情報が飛び交い、情報に踊らされ、
情報世界という、
脳が主導する世界も始まったのです。
そこでは行きすぎた情報で人間が見張られる事態も起きています。
そして深刻なことは、
情報が優先してしまう、脳が主導する世界とは、
体がおいていかれる世界であるということです。
人間は脳が獲得する情報と、体から得る情報とを、
双方向に使いこなしながら、生きています。
脳の神経世界と体の神経世界とが相互に連鎖、連結、連動しながら、
●有機体(生命体)としての自分を経営しているのです。
ところが、脳世界が先導し、
体の世界を機械が代理する様々な利便性を作りだした結果
体はそれほど使わなくても生きていける、という状況を
作り出してしまいました。
当然そこには暇ができ、
暇な分人間は自分の脳世界をいじくります。
インターネットの世界や漫画やアニメやゲームなどなど、
昨今の映画ブームとそうだと思います。
そのバーチャルな世界が、
今度は人間のフラストレーションを
埋めていっています。
もともと人間は有機体の生命体ですから、
脳世界と体世界とのバランスを取りながら
脳のエネルギーも体のエネルギーも
それを消費しながら外へ放出し、
反対に外部から新しいエネルギーを得る、という
エネルギー循環の中を生きています。
フラストレーションとは、
そのエネルギー循環がうまく行かないときに
苛立ちや、不全感(なんか詰まっていて吐き出せない感じや
も満たされていない感じ)を起こし、
それを何かで解消しようとするのです。
ほんとうはそれに一番いいのが労働なのですが。
以前も書きましたが、労働は単に金銭を生み出すのではなく
人間の能力を開発し、高めていくものであります。
また、体をつかうことで、エネルギーの循環をも良くしてくれるのです。
適度な労働と疲れが人間にはベストなのです。
しかし、脳主導の世界では、体が置いて行かれます。
さらにAI時代になると、脳の世界さえもAIに代理され
その結果、脳さえも置いて行かれます。
脳と体からのエネルギー放出ができない分
脳はイライラし、また退屈します。
だから人々は、四六時中スマホをいじくり、
SNSに投稿し、脳の退屈をしのごうとします。
インターネットの刺激的世界で、フラストレーションを解消し
そこに依存が起きてしまうのです。
脳世界が主導する世界は
人間の体験や経験が劣位におかれますから
どうしても頭でっかちの観念人間を作り出してしまいます。
頭でっかちになればなるほど、
現実と虚構の区別がつかなくなります。
利便さがさらに追及され、
ロボットに行為、行動や労働が代理されればされるほど、
人間が自分の五感を駆使して感覚入力する能力が
失われれていきます。
自分の五感でつかむ、匂いや味や痛さや
衰えていくのです。
先般の<京アニ>事件も
そうしたアニメの虚構世界と
実際の現実との区別ができなくなった人間が
自分の思い込みや欲望を短絡させて、
安易に絶望して起こした事件ではないかと、
私は思います。
こうして人間の歴史を俯瞰し、
様々なる出来事を横断してみえてくるのは
果たして、私たちは、人間の幸せを手に入れようとしているのか
それとも失おうとしているのか、
考えざるを得ません。
私たちはどこへ行こうとしているのか・・・?
次回は、もう一つの視点<人間の幸福>から
書いてみようと思います。
三つの大革命を書きました。
1.18世紀の産業革命
2、インターネットによる情報革命
3、AI(人工知能)テクノロジーによる脳の代理が始まる革命
それらを今度は二つの視点から見てみましょう。
一つは、人間の<脳と体>の視点から
もう一つは<人間の幸せ>という視点から。
<脳と体>の視点からみると
産業革命により、体はずいぶん楽になりました。
そして脳は、科学を駆使して、
自然と物を人間がコントロールするという
脳にとって素晴らしい脳の黎明の時がはじまりました。
脳はその本領を発揮して、どんどん利便性や生産性を高める発明をし、
人間は夢のような物質世界を手にいれました。
そしてインターネット社会になると、人間は、世界も手に入れました。
つまり、世界の情報を手に入れ、
オフィスに座っていれば、世界と交流できます。
さらにワザワザ動かなくも
インターネットから必要なものを買うこともできます。
しかしそれは
●脳が作り出す虚構の世界が、
今度はインターネットの中で
作られ始めたということでもあるのです。
そして残念ながら、ここから脳主導の世界がはじまりました。
そして
体はどんどん置いて行かれます。
つまり
脳が作り出すネットワークの中で、人間は買い物をし、
生活用品を整え、仕事も脳のネットワーク(インターネット)上で請け負われます。
つまりインターネット社会とは
それまでは、ひとりひとりの脳のカプセルの中にあった情報が、
インターネットによってどんどん開示され、集積されていく社会です。
たくさんの人々がブログを書き、インスタグラムをやり、
ツイッターをやり、さらにFacebookでは、本名で自己を公開しています。
それと同時に
人々の脳情報は、インターネット世界(社会)の中でどんどん集約、集積され、
今度はそれが主体となり、
インターネット上の虚構世界が生まれ、
そこでの価値を生み出していきます。
その時残念ながら、
人間はハメルンの笛吹きにつれていかれたネズミのように
自分が知らないうちに、脳が支配する世界(社会)へと連れこまれてゆきます。
では、脳が主体する世界とはなにか?
それは仮想(バーチャル)世界です。
つまり、脳が作り出す●虚構世界です。
※なかなか分かりにくいと思いますが、
脳がバーチャル世界である、ということを、
ひとつ押さえておいてくださいね。
サピエンス全史を書いたユヴァル・ノア・ハラリ氏によると、
人間の歴史は、
自分たちの脳が作り出す<虚構>世界を文明として理念化し
それを信じて、生き続けているということです。
お金や、国家や、宗教や、人権や、法人などなどの
たくさんの虚構を作り、信じて、生き続けてきたということです。
私たち人間は、
その虚構で、ひとくくりされ、
その共同性の中で、物事を考え、行動していると
いうことです。
その虚構世界が作り出した現実と実際の現実との落差や確執の中で
人間は格闘して、生きているのです。
戦争も人間が作りだした国家という虚構の負の世界を信じて
人々は命を落とした(ささげた)のです。
宗教の神という虚構を信じて、マインドコントロールをうけ
時に民族は争うのです。
※このブログでは度々宗教も神も人間が作り出したものだと
書きました。
個々人も、その脳が思い込み、作りだす虚構世界と
実存的な●自分の自然性(自分の現実)とのはざまの中で
苦しみ、もがくのです。
しかし
断っておきますが、
<虚構>も決して悪いものではありません。
大勢の人間が、力を合わせ、共存していくために
虚構は必要です。
人間は同じ虚構を信じながら、
そこに指標を結び、それを手掛かりに
集団で生き延びてきたのですから。
もう、お分かりですね。
脳は、その虚構世界、つまり本当は実態のない仮想世界を想定しては、
それを手掛かりに、様々なものを発見し、発明し、
自分を達を幸福にするために、文明を創造し、
進化させてきたのです。
※そこに脳の凄さがあるのです。
産業革命は、動力というエネルギーを獲得しました。
それ以来、人間は
●自然のエネルギーや
●自然の摂理さえも、
コントロールしようとする歴史が始まったのです。
産業革命以来、人間はそれまでの農業社会から一転して
工業社会へと驀進し始めました。
それは、人間が自分でエネルギーと物を作り出す世界で、
科学や化学を駆使した、たくさんの宝物を生み出してくれました。
農業社会では、その重労働からも解放されましたし、
人間が作り出すテクノロジーの産物は、
まるで奇跡のように、
快適で、清潔で、豊かな物質に囲まれる暮らしを
実現してくれました。
ただね、そこまでは、人間と自然とが協働する世界、
人間の労働が、物を作り出す世界があったのですよ。
しかし、インターネット社会になると、
今度は話が違ってきました。
確かにインターネット社会では、
それまで一部の人間に独占されたいた情報が
庶民へと解放されました。
しかし、一方では、情報が飛び交い、情報に踊らされ、
情報世界という、
脳が主導する世界も始まったのです。
そこでは行きすぎた情報で人間が見張られる事態も起きています。
そして深刻なことは、
情報が優先してしまう、脳が主導する世界とは、
体がおいていかれる世界であるということです。
人間は脳が獲得する情報と、体から得る情報とを、
双方向に使いこなしながら、生きています。
脳の神経世界と体の神経世界とが相互に連鎖、連結、連動しながら、
●有機体(生命体)としての自分を経営しているのです。
ところが、脳世界が先導し、
体の世界を機械が代理する様々な利便性を作りだした結果
体はそれほど使わなくても生きていける、という状況を
作り出してしまいました。
当然そこには暇ができ、
暇な分人間は自分の脳世界をいじくります。
インターネットの世界や漫画やアニメやゲームなどなど、
昨今の映画ブームとそうだと思います。
そのバーチャルな世界が、
今度は人間のフラストレーションを
埋めていっています。
もともと人間は有機体の生命体ですから、
脳世界と体世界とのバランスを取りながら
脳のエネルギーも体のエネルギーも
それを消費しながら外へ放出し、
反対に外部から新しいエネルギーを得る、という
エネルギー循環の中を生きています。
フラストレーションとは、
そのエネルギー循環がうまく行かないときに
苛立ちや、不全感(なんか詰まっていて吐き出せない感じや
も満たされていない感じ)を起こし、
それを何かで解消しようとするのです。
ほんとうはそれに一番いいのが労働なのですが。
以前も書きましたが、労働は単に金銭を生み出すのではなく
人間の能力を開発し、高めていくものであります。
また、体をつかうことで、エネルギーの循環をも良くしてくれるのです。
適度な労働と疲れが人間にはベストなのです。
しかし、脳主導の世界では、体が置いて行かれます。
さらにAI時代になると、脳の世界さえもAIに代理され
その結果、脳さえも置いて行かれます。
脳と体からのエネルギー放出ができない分
脳はイライラし、また退屈します。
だから人々は、四六時中スマホをいじくり、
SNSに投稿し、脳の退屈をしのごうとします。
インターネットの刺激的世界で、フラストレーションを解消し
そこに依存が起きてしまうのです。
脳世界が主導する世界は
人間の体験や経験が劣位におかれますから
どうしても頭でっかちの観念人間を作り出してしまいます。
頭でっかちになればなるほど、
現実と虚構の区別がつかなくなります。
利便さがさらに追及され、
ロボットに行為、行動や労働が代理されればされるほど、
人間が自分の五感を駆使して感覚入力する能力が
失われれていきます。
自分の五感でつかむ、匂いや味や痛さや
実際におきていることを目で見たり、聞いたり,考えたりする能力が
衰えていくのです。
先般の<京アニ>事件も
そうしたアニメの虚構世界と
実際の現実との区別ができなくなった人間が
自分の思い込みや欲望を短絡させて、
安易に絶望して起こした事件ではないかと、
私は思います。
こうして人間の歴史を俯瞰し、
様々なる出来事を横断してみえてくるのは
果たして、私たちは、人間の幸せを手に入れようとしているのか
それとも失おうとしているのか、
考えざるを得ません。
私たちはどこへ行こうとしているのか・・・?
次回は、もう一つの視点<人間の幸福>から
書いてみようと思います。
人工知能とデジタル化の行き過ぎたテクノロジー文明に警鐘をならす。
映画「どこかに美しい村はないか」
~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より
予告編
多くの人読んでいただきたく
みていただきたのです。
拡散をお願いいたします。
田下啓子
by denshinbashira
| 2019-09-23 08:23
| シリーズAI時代をいかに生きるか
|
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