身体と感覚が体験したことの総体が 私である。 |
正確に言うと一冊は途中で放棄しました…苦笑!
放棄した本は「私は脳ではない」という本です。
AI時代を迎えるにあたり、
いわゆる脳科学において脳ニューロンがすべてを作り出すという
脳神経絶対論者に対する、
心理分析の立場からの反論であり、
実は私自身も、脳はあくまでも外部からの情報処理のマシン=ハードであり、
心とはその情報が作り出すソフトであると考えています。
さらにそのソフトは脳だけでなく、体からの感覚入力情報や
体験や経験によって確証、認知された外部からの入力情報が、
不連続に連続しながらその人間の脳状況や体状況をつくりだし、
それがさらに脳へと還元されていく、と
考えていますから、
どちらかといいうと、まさに「私は脳ではない」のほうを支持するのですが・・・。
ただね、この本の著者が問題だと思うのです。
この本の著者が、自分の言葉で語っておらず、
彼が自分の専門の哲学の知識をふんだんに用い、
ギリシャの哲人から歴史に登場する哲学者や思想家や科学者のことばを
多量に引用し、それら読んでいくにつれ、
あきらかに読者は散漫に混乱します。
それがまたくどくて読んでいて嫌になるのです。
つまり、偉そうに自分の節を展開しているその裏に、
自信のない、しかし、自説を読者にわからせたい、という欲求を持つ若輩を
感じざるを得ないのです。
とても未熟なその精神世界を見ざるを得ない。
人間の尊厳という理念の世界だと私は考えています。
それは、ソフト(理念、イメージ)とマシン(脳の機能世界)の
双方向からのエネルギーと、作業の賜物であると
私が考えています。
ただ、問題なのは、文明の進化に比例するかのように
脳というマシンの劣化が起きており、
脳世界の限界や、
脳神経世界が作り出す世界の限界と、
それを使いこなす人間は
どうあらねばならないかを書いてあります。
逆にこの本を読んでいただけると、
私がなぜ、AI時代を危機に思い映画をつくったかの真意も
理解していただけると思います。
どちらかいうと養老さんは、やはり学者としての限界があり、
ニコルさんの話の方がすごいね!!
やっぱり体当たりで現実を実践し、作り出し、変革してきたほうが
凄いのですよ!!
最後に対談を終えて、ニコルさんが語っている中から
ご紹介します。
「なぜ我々は存在するのか」という問いは、シンプルかつ複雑なものです。
ー中略ー それは人間が地球上の他のすべての生物とDNAを共有しているという考えです。
私たちの祖先は、海から現れ、地上のあらゆる環境を生き抜くように適応しました。」
このことは仏教の理念「一切衆生悉有仏性」いきとし生けるものはすべて、
不連続に繋がっている、ということにも通じます。
また
『「我々はだれなのか」おそらく、私たちはみな、自分自身の答えを持っているはずです。
私自身は誰なのか、何をしてきたのか、残りの人生をどのように過ごしていきたいかを
知っています。
私ば、身体と感覚が体験したことの総体なのです。』
※『「身体」をわすれた日本人 』養老孟司×CW・ニコル 山と渓谷社 より引用。
私とは、
体と脳の融合である、とニコルさんは言っておられます。
素晴らしいです。その通りです。
だからこそ、私はチラシの裏に書いたのです。
「大切なことは、
体の五感や手足を使っていきること。
人間の労働への尊敬と誇りをもつこと。
自然と共にいきること。」
実はニコルさんはこの映画の英訳の監修をしてくださいます。
身体と感覚が体験したことの総体が
私である。
だからこそ、
●一人一人の「私」には、それぞれの尊厳があるのですね。
本日、映画のチラシセットが届きました。ありがとうございます!
ミニノート、とてもかわいいです!!開封して思わず歓声をあげてしまいました。
A5位のサイズを想像していたので予想を見事に裏切られました。
ビニールのカバーがついてるのもいいですね。
映画は来年5月から上映開始との事で、とても楽しみです。
映画スキーの友人達に映画のことを紹介しようと思っています。
寒くなってきました。どうぞ風邪にお気をつけて、お身体ご自愛くださいませ。
今日遠野から帰ってきました。
また「面白同人バザール」においでいただきありがとうございました。映画のこと、どうぞよろしくお願い致します。
遠野はもう冬でしたよ。吉田様もお体にきをつけられてください。 謝々