奇跡が起きた。 |
まだ夢をみているようで、意識も感情もポカンとしたままです。
何も感興が沸き起こってこない。
ただ、奇跡がおきたことは、間違いない!
音楽が暗唱に乗り上げた、とお伝えしました。
作曲家が降りられたのです。
ところがそれと同時に彗星のように別の作曲家が
現れました。
まるで夢のように、ことが進んでいるのです。
そして私はあまりにもそのあっけなさに、ポカンとしている。
詳しいことは差し控えます。ただ、映画をご覧になったとき、
全てをご理解いただけると思います。
この映画は、私のこの世をさらねばならない時間が迫ってきている。
しかし、どうしても人間のことが心配でならない。
それは、文明の行きすぎが人間を疎外しかねないという危惧が、
わたしの脳裡から消えないのです。
私は自分の死の間際には、人間を賛美して終わりたいと思っていました。
しかし現実はそうはいかない。
行きすぎたテクノノロジーの利便さと、経済効率の高さとが、かえって
人間が人間たる条件である、身体を使い、脳を使って生きることを
疎外し始めている。
さらに経済の格差が益々広がっている。
どこかで、ボタンを掛け違えた、と私は思うのです。
しかしその危惧や無念さを残したまま、
私がこの世を去らねばならない時間が迫ってきている。
人間は大地を離れては、生きていけない。
人間は自然と一緒にしか、生きていけない。
だって人間も自然の一部なのですから。
しかし、人間は自然をいじくりすぎた。
人間は、欲張りすぎたね。
自然は今脅威となりつつ
そのしっぺ返しが人間を襲ってきている。
しかしそれは
自然がSOSのサインをだしている事でもある。
私の人生は物心ついてより、
ずっと人間の幸せとはなにか、
人間はいかに生きるべきか、とを
心理の世界、脳の世界を通して、問い続けました。
そして今、人生の最終盤にきて、くっきりと見えてきたのは、
・人間は断絶をとおしてしか、繋がれないこと。しかし
・人間はいつも他者と共に生きることを欲している。
この矛盾する中をいかに生きるかが、人間に問われ、
その答えを出す中で、
人間は人生の何たるかを、
幸せのとは何かを、つかみ取ってゆく。
人間は「考える葦」なのですからね。
さらに、
人間はその自然性が担保され、、子供のように素直で、純粋な時こそ
大きな力を以て、その人間の能力が開かれること。
疑心暗鬼や警戒と自己防衛がその人間を支配したとたんに、
その人間の能力は閉じられていくこと。
それが人間の運命であり、条理であること。
今、私に起きている奇跡的な出来事を通して思うことは、
ひたすら素直に純粋に生きることを、いかに全うするかです。
そのことが、見えない糸のように、奇跡を紡ぎす、ということです。
人間は通俗にまみえてしか、生きてはいけません。
しかし、問われるのは、いかに通俗を乗り越えるか、です。
通俗を乗り越えてこそ、そこに、
通俗を生きる事とは別の感動の世界が生まれます。
それは、通俗の欲や垢をさっぱりとそぎ落として
軽みになった自分でね、
何とも清々しい世界です。
さあ~、そろそろ夜が明けてきたよ。
今日も生きるかぁ~!!
予告編です。

