映画「どこかに美しい村はないか」希望はどこにあるか! |
色んなことがめまぐるしく変化し、
人々は時間に追われ、
さらに情報が山のように追いかけてくる。
もう、人間の脳神経のキャパがいっぱいなのです。
その分人間がイライラし、ストレスが溜まります。
インターネットや携帯電話の進化で、
特に生々しく他者と関わらないですむことが、
逆に人間関係を体験する、ということを疎外しているのです。
つまり、実際に他者と関わり、その経験値や体験知が豊かになって
自分や他者の、人間性を理解していくのではなく、
インターネットやiPhoneの機器を通して、人間がかかわりあう、ということは、
楽である一方
ますます、人間が孤立化し、脳の個別性が進んでしまうということです。
※ほとんどの人は、そういう落とし穴に気づいていませんが。
だから実体験を持たない人々は、仮想の人間関係をシュミレーションしながら
関係性を持とうとします。
※今はやりの異世界ブームはまさにそれを象徴しています。
しかし、実はそういう人間関係では逆に、
複雑に脳神経を駆使しなければならなくなり(気を回さないといけなくなり)
脳のストレスがひどくなります。
さらに独りよがりの思い込みも進みます。
※人間は体験や経験をしながら、その客観性を育てていくのですから。
そして、山のように追いかけてくる情報は、
ほんとは、シンプルで、簡素なことをも、
余計な情報で過剰なおひれや深刻さが加わり、
人間を不安にしてしまうのです。
社会がテクノロジーでドンドン人工化していく中で、
人間の脳のカプセル化はどんどん進み、
素朴な人間の自然性が失われていくのです。
そ・し・て
希望や夢というのは、
人間が社会とかかわりながら、自分の中にある可能性がひらかれ、
エネルギーを、発電していくことです。
基本は、その人の心が、健やかである、ということです。
こじらせたり、ひにくれたり、引きこもる自我の中に、
希望は生まれません。
※うまれるとしたら、独りよがりの自己実現願望です。
だからストレスが多い社会や、情報が人間を囲い込む社会や
テクノノロジーが進み利便社会になればなるほど、
逆に人間の神経はくたびれ果てて消耗し、
個々人の希望や夢が後退していくのは必定です。
本当は今、私たちは考えなければならないのです。
人間は何が必要で、何を失ってはならないかを、です。
もう一度、希望というのは、
人間の心が健やかで、健康であるときこそに見えてきて、
エネルギーを発電するのです。
このままAIテクノノロジー社会は突き進むのでしょうか。
たぶんそうなると思います。
しかし、どこかで、思い出してほしいのです。
この映画に描かれている「どこかにある、美しい村」のことを!!
忘れないでいて、ほしいのです。
4/21 遠野試写会、4/24 東京試写会にブロガーさんをご招待いたします。