映画「どこかに美しい村はないか」すみれ色した夕暮れは、若者のやさしいさざめきで満ち満ちる。 |
人間の心が健やかで、健康であるときこそに見えてきて、
エネルギーを発電するのです。
希望は、追い詰められた人間には湧いてきません。
希望はこころにゆとりがあり、
さらに前進しようとする中にこそ、う生まれてきます。
そう考えてよくよく今の現実をみると
もしかしたら人間の危機は都会の方なのかもしれません。
目まぐるしい生産性の競争の中に置かれ、
時間に追われ、情報の山にかこまれ、
人間の精神や神経へ、ストレスが重くのしかかる都会の方が、
危ないと私は思っています。
人間の心の中は眼には見えませんから、
心が崩壊していくことも、なかなか気づかれにくいのです。
そこが厄介ですね。
そして、都会の人々がそのストレスから解放されるには、
どこかで自然へと回帰する必要があります。
そうでなければ、都会でのストレスは
眼に見えない中でどんどんすさんでいくと思います。
どこかで、
もともと人間は動物であり、いきものなのです。
にんげんはアナログな存在です。
ゆっくり、ゆっくり変化する存在です。
経済の観点からみれば、危機は地方のほうかもしれませんが、
人間の心の観点からみれば、都会の方が深刻です。
それは、
地方の人々はまだ自然と共に生きているからです。
そしてそこには<自然時間>も消えていません。
茨木のり子さんはその詩の中でこう謳います。
すみれ色した夕暮れは、若者のやさしいさざめきで満ち満ちる。
どこかに美しい人と人の力はないか
心に余裕がある時、やさしさと、希望が生まれます。
そして
人と人の力が生かされてゆくことが、豊かさになります。
そういうとても大切なことが、失われないように
この映画を作りました。