若者なのに疲れ切り、若者なのに冷め切っている若者に この映画を贈ります。 |
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮は
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる
茨木のり子さんの青春時代は、戦争中でした。
茨木さんはそれを「わたしが一番きれいだったとき」という詩にしています。
私の青春時代は安保闘争の真っただ中、
沖縄が米軍基地にされ、日本がアメリカのポチになるのを
若者が体を張ってデモをしました。
若いことは、それだけでキラキラ輝いている。
若いお嬢さんもう、若いだけで美しい。
しかしそれだけじゃあ光らない。
青春というのはどこかに志を持たないとね。
茨木さんがこの詩で願ったように、
美しい実をつけた街路樹の平和な町で、
一日の労働を終えた若者が、
菫色した夕暮れの中で、さざめいているだろうか。
そこには、労働の充実や、一日の終わりに、心がみちたりた歓びがある。
茨木さんも、私も、いつか若者がはつらつとこの国を牽引していくことを
願っている。
しかし、この国のそういうことに対して、どうしも私の中に怒りが湧いてくる。
今でもこの国は世間知にまみれ、利害計算ばかりをする老人が支配している。
若者の異世界ブームを聴く度に、
いや、この現実を君らのものにしないとダメなんだよ!と
思う。
君らの行くところは、バーチャルで、デジタルな空間ではない、
その足元にしっかりひろがる大地と、
自分らで創り、変えていく今という瞬間こそが君らの舞台であり、
その有り余るエネルギーそこへ注ぎこまないと、
未来は大変なことになる。
若者なのに疲れ切り、若者なのに冷め切っている君らに
この映画を贈りたいのです。
どんな時でも、精いっぱいの自分を注ぎ込み、
いつも、希望をめざした茨木さんと児玉房子さんとそして私のその
視線の先にいるまぶしい若者たちへ。
すみれいろした夕暮の中にきこえる
その若者のやさしいさざめきを
今も願っている。