2020年 01月 27日
ぐさりぐさりと刺さる詩人の言葉! |
私は預言者でもなんでもない、ただのお婆ちゃんであるが、それでも
これからの時代が、大きく二極に分解していくだろうことは、
推測できる。
ひとつの流れは、AIテクノロジー時代へと驀進してその流れの中に
飲み込まれていく人。
そしてもう一つの流れは、AIテクノロジー文明の反動として、
人間が人間らしいとは何かを考察し、
どんどん失いつつある自然との共存を模索する人々です。
一つの流れは、思考しない人間の群れ、となり、
それらの人々は、思想も哲学も持たずにどんどん流されていくでしょう。
今、いかに思想や哲学する人々がどんどんいなくなり、
その反動で軽薄が蔓延していることに、私はとても危惧します。
ただ、もう一つの流れとして、ほんとうに少数派ではありますが、
思考せずにはいられない人々もいます。
模索し、哲学せずにはいられない人々です。
大波のように襲ってくるのは、AI文明と経済格差、そして人間の無用化です。
しかし、おそらくほんとうに些少であるが、その流れに抗し、
自分たちの人生を考え、生き方を模索する人々もいるのです。
生き方を模索することは、なかなか難しいです。
しかしそこにいるのは、確実に<人間>という存在です。
考えながら、生きようとする人間です。
映画「どかに美しい村はないか」は、
これからの時代を危惧した私の、しかしそれでも希望の種をさがした映画です。
そしてそれを後押ししてくれるのが、茨木のり子さんの詩です。
力強い詩人の言葉が、ぐさりぐさりと刺さります。
「どこかに美しい人と人の力はないか」
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる」
失ってはいけないもの、それは<美しい人と人の力>です。
そして人間は、共に生きなければならない。
そこにあるのは、親しさと、ユーモアと、そして怒りの反骨です。
また、ここには、目には見えないけれど、詩人の熱い人間愛があります。
私はそう思います。

これからの時代が、大きく二極に分解していくだろうことは、
推測できる。
ひとつの流れは、AIテクノロジー時代へと驀進してその流れの中に
飲み込まれていく人。
そしてもう一つの流れは、AIテクノロジー文明の反動として、
人間が人間らしいとは何かを考察し、
どんどん失いつつある自然との共存を模索する人々です。
一つの流れは、思考しない人間の群れ、となり、
それらの人々は、思想も哲学も持たずにどんどん流されていくでしょう。
今、いかに思想や哲学する人々がどんどんいなくなり、
その反動で軽薄が蔓延していることに、私はとても危惧します。
ただ、もう一つの流れとして、ほんとうに少数派ではありますが、
思考せずにはいられない人々もいます。
模索し、哲学せずにはいられない人々です。
大波のように襲ってくるのは、AI文明と経済格差、そして人間の無用化です。
しかし、おそらくほんとうに些少であるが、その流れに抗し、
自分たちの人生を考え、生き方を模索する人々もいるのです。
生き方を模索することは、なかなか難しいです。
しかしそこにいるのは、確実に<人間>という存在です。
考えながら、生きようとする人間です。
映画「どかに美しい村はないか」は、
これからの時代を危惧した私の、しかしそれでも希望の種をさがした映画です。
そしてそれを後押ししてくれるのが、茨木のり子さんの詩です。
力強い詩人の言葉が、ぐさりぐさりと刺さります。
「どこかに美しい人と人の力はないか」
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる」
失ってはいけないもの、それは<美しい人と人の力>です。
そして人間は、共に生きなければならない。
そこにあるのは、親しさと、ユーモアと、そして怒りの反骨です。
また、ここには、目には見えないけれど、詩人の熱い人間愛があります。
さいごは愛、
それしかない、と
私はそう思います。
映画「どこかに美しい村はないか」
~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~
1月14日に完成しました。

予告編です。
●東京上映は、5月16日,17日 人形町三日月座で!!
Twitterの方もどうぞ!!
●遠野上映は、6月7日(日)市民センターホールで、予定しています。
●横浜上映は、5月23、24日 シネマノヴェチェントで!
さらに●岩手県沿岸部、●秩父、なども上映を予定しています。
4/21 遠野試写会、4/24 東京試写会に、ブロガーさんをご招待いたします。
どうぞよろしくお願い致します。
by denshinbashira
| 2020-01-27 07:01
| 遠野の映画撮影日記
|
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