映画「どこかに美しい村はないか」私の映画論、その6、のどかに、うららかに、おおらかに! |
時代が進み、情報化時代、テクノロジー時代さらに
AI時代になったとき、私たち人間は<とてつもない大切なもの>を
一つは脳の観点から、人間は手を使い体を使い、
身体から入力した感覚と感性や、体験知がもたらす経験値の集積が
脳の<無意識>のネットワークの中で
その人間の知性の複雑さや聡明さを作り出していきます。
だから体を使うことがとても大切なのです。
また困難や難しいことや危険なことこそも
人間も深い洞察力や考察力をもたらします。
だから利便性が進み、人間が身体使わず、考えなくても、事がすんでしまう時代は
果たして人間にとってどうなのか、と私は考えるのです。
また人間にとってとても厄介なのが<人間関係>です。
しかし、厄介な一方で、人間は他者と繋がりながら常に<共生>ということを
考え続けてきた結果、デモクラシーや平和という概念を創出して
来ました。
そしてもっとも大切なのが<人間と自然>との関係です。
人間が自然から疎外される、ということも、
人間が自然をコントロールして、自然が持つ様々な関係性、
つまり自然の持つ摂理や循環系統が
どんどん壊されてゆき、地球環境そのものが変化することが
果たして人間にとってどうなのか、ということです。
またその結果、人間が放射能を手ばせなくなったり、
人間の命の根源である作物を生み出す大地がどんどん化学薬品で侵され、
さらに食べ物そのものが自然性を奪われ、化学添加物まみれになっていく時、
今、もはや驀進しかないようテクノロジーの時計の針を、一回止めて
考えねば、と私は思うのです。
利便性や生産性や換金性だけではなく、
もっと人間が生きる、或いは存在する、という事を
根源性から見つめなおすこと。
時代=社会を、総総括して、私達は、どう生きるかを
見直さないと、と思うのです。
そして今朝、この映画を上映するにあたり、
どうしたら沢山の方々にこの映画をみてもられるのだろうと、
様々なことが頭の中を巡るなか、ふと
浮かんできたのが、
のどかさや、うららかさや、おおらかさ、という言葉でした。
なぜこの言葉が浮かんできたのかわかりませんが、
ずっと人間の精神(こころ)とはなにかを追求してきた私にとって、
人間の精神(こころ)が追い詰められ、壊れてゆくことのひとつに、
人間の中にある牧歌性が奪われ、失われていくことへの<嘆き>があるなあ~と、
いうことです。
自然や他のいきものと共にいきるのどかさや、
燦燦(さんさん)と降り注ぐ光の中のうららかさや
そしてお互いを許し合う、おおらかさこそが
目にはみえないけれど、とても大切なものではないかな~と
私は思うのです。
どうぞ皆さん、この映画を見て、楽しんでください。
もし、この映画を通じて、皆さんの中の
のどかさや、うららかさや、そして
おおらかさと繋がることができたなら
なんて素敵なことでしょう。
私もぜひ大勢の皆さんに見ていただけるよう、
がんばります。

第2回上映:受付開始:14:30~ 上映:15:00 ※プレスの方、ブロガーの方、Twitter・Facebookをお持ちの方が入場できます。
第3回上映:受付開始:16:00~上映:16:30~ ※プレスの方、ブロガーの方、Twitter・Facebookをお持ちの方が入場できます。


自然そのものであるこのジュースが、いかに美味しいかを