映画「どこかに美しい村はないか」私の映画論、その7、人間がいた! |
そういうことしか思い浮かばない政治の脳の劣化に
憤りさえ思う。
時代の劣化と政治の風化、そしていつも
即物的にしか反応しない国民。
ただ、時代をそのようにし、
そういう政治家を選んだのは、私たちでもある。
また、おおくの若者たちが政治に無関心であることも。
戦後からの時代を大きく遠望してみると、
経済の豊かさと引き換えに、知的な文化の退行は否めない。
人々は政治に無関心でも、それなりに豊かに暮らしていけ、
個々の欲望が満たされたら、それでいいのかもしれない。
これまで私は、極力政治のことは書かないようにしていた。
なぜなら、そこにもう、人間はいないからである。
そこには生きた人間、いきた人々、生きた民衆はいない。
いるのは、脳が形骸化した亡霊のような人間と
権力にしがみつく無能な人間の群れでね。
民衆はどこにいるのか、
生きた人間は、どこにいるのか。
私は探し求める。
その時、微かに遠望したそこに人がいた。
目を凝らしてよく見ると、
自然の中の点景としての人間。
そのうえを通り抜ける雲と風、
そして鏡のように美しい田園と、
その中にうずくまるようにある人家と暮らし。
もうすぐ菜の花が咲き、
リンゴの花も咲く。
いたのよ、人間が。
まだ素朴さや、純朴さの中で生きる人々が。
自然と共にいきるのどかさや、
燦燦(さんさん)と降り注ぐ光のうららかさや
それを児玉房子さんがガラス絵にしたのだな~。

第2回上映:受付開始:14:30~ 上映:15:00 ※プレスの方、ブロガーの方、Twitter・Facebookをお持ちの方が入場できます。
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自然そのものであるこのジュースが、いかに美味しいかを
