映画「どこかに美しい村はないか」私の映画論、その8、大事なことは、私たちは「生きている」ということ。 |
「生きている」からこそ、つまり生身の人間だからこそ、
コロナというウイルスにも感染するのです。
そこには、身体というなまなましい生物としての人間の世界があります。
つまり「生きている」ということは、
私たちが体という有機的な細胞の組織をもつ動物=いきものであり
常に食べて排出し、さらに物事に直面しては、考えるという
なまなましい生の循環の中にあるということです。
だから、人間以外の動物は、自分で餌をさがし、
自分で、住処を探し或いはつくり、
自分の力で生きようとします。
ところが、人間はいつの間にか、食べ物も、住む世界も、そして生きることも
文明の力に<依存>し、
自力で生きる、さらに自立して考える、ということが
どんどん奪われてしまいました。
奪われる、ということより、放棄してしまった、といった方がいいかもしれません。
どうして、そうなったかは、それは人間が<文明>というものを
作りだしたからです。
文明は人間が生きる上での困難さや障害を乗り越えるために、
沢山の<福>をもたらしました。
しかしその反面、文明によって便利になり、生産性がたかまる反面、
人間が本来もっていた、自力的なパワーや、生活のための基本的な技術を
さらに、自分で考えなくても、自分で探しださなくても、結構生きていける、という世界で
人間は<自力で考える>ということすら、放棄し始めています。
今回も、デマに惑わされて、トイレットペーパーの買い占めが起きました。
昨日はスーパーが買い出しの人であふれていました。
思い出せば、3,11の時は水を買い占める騒ぎがおきましたね。
文明が進むと共に、人間が劣化していくのか?
文明とはなにか、
文明は何を人間にもたらすのか。
そして人間は文明を、どのように使いこなせばいいのか。
さらに、人間はこのままなり行くままに文明の中に埋もれていいのか。
文明がもたらす自然破壊や、人間が自然から離れた時に起きる精神障害についても
しっかりと向き合い、何をどうすればいいかを考え、実行しなければならない時期に
来ているのです。
この映画は、そんな文明を検証する映画でもあります。
ただね、深刻に、不安に考える必要はないのです。
そうではなく、私たちの中に潜む、もともとの人間力を
どのように文明とすり合わせて、統合して、よりよい文明を作り出すかです。
そこに力を発揮するのは、文化という人間の知恵です。
文明をより良きものにする文化こそ、これからの課題であると思います。
第2回上映:受付開始:14:30~ 上映:15:00 ※プレスの方、ブロガーの方、Twitter・Facebookをお持ちの方が入場できます。
第3回上映:受付開始:16:00~上映:16:30~ ※プレスの方、ブロガーの方、Twitter・Facebookをお持ちの方が入場できます。