突っ走る信長、守りに入る光秀! |
どうも精神分析の手法を用いているのかな~と思いました。
染谷君の信長も、斎藤道三と高政の関係も、どうやら
エディプスコンプレックスという解釈なのかしらね~?
エディプスコンプレックスとは、男の子が父親に対して持つ
性的コンプレックスで、父親と対抗したり、嫉妬したり、
反対に母親には異常に執着する、というものです。
斎藤道三と高政の関係も、まさにエディプスコンプレックス的に
描いていましたね。
心理のことで、
私も35年前に高村光太郎と智恵子を精神分析をベースに書きましたが、
当時は、ほとんど一般には理解されませんでした・・・笑!
だから本も、そんなに売れませんでした・・・ホトト!!
ただ最近は、少しずつ皆さんも分かってきたようで、
あの大河ドラマでも、信長が、自分の心理を分析して、
弟殺しの言い訳をしていました…苦笑!
ただね、エディプスコンプレックスも人間の心理も
あんなに単純ではないです。
もっと複層的に屈折してでてきますから、
その辺は、どうなんですかね~。
私自身は宮沢賢治も、樋口一葉も、精神分析をベースに
いわゆる心の綾がどのように綴られて、現実の行動へと現れるかを
分析しています。
人間は、ほとんど無意識で行動しています。
このブログでも何度も書きましたが、
人間は行動が先です。
行動して、その0,5秒から0,25秒に自分の行動が意識で確認されます。
つまり、ほとんどは無意識で行動しているのですね。
その無意識領域に、どのような記憶がタンクされていて、
その記憶の連鎖が、どのようにシステム化されているかを
分析していくのが精神分析です。
大河ドラマの信長は、どういう風に描かれていくのでしょうか。
それにしても、主役の光秀君は、どうしたの、
精彩がないですね。
長谷川さんの光秀君をみていると、どうも調整型らしい。
つまり官僚的能力はあるみたい。
すでにあるもの、或いは、できあがっているものを
より有効に使うということの能力は長けているのです。
ゼロから物を立ち上げていく能力はあまりありません。
だから、どうしても自分も他者も保守的なフレーム(できあがっている秩序)の中に
囲いこもうとしてしまうようです。
囲いこんで現状を維持しようとする人間です。、
しかし信長は反対に、古いしきたりや、掟や制度をどんどん逸脱していく人です。
つまる信長は才能はキラキラあふれる脳システムを持っていた人なのですね。
ところが光秀君は、それにはついていけませんし、
危険やリスクを恐れている人ですから、
いつも信長にブレーキをかけようとしたと思います。
しかし信長は反対に、
今あるものの先にある可能性を読み取る才能は
抜群でしたらから、もしかしたら光秀の保守性に
イライラしたと思います。
これは私の独断と偏見ですが・・・笑!
信長の側近の武将たちは、三種類に分かれています。
一つは信長の天才ぶりをちゃんと評価できている武将、秀吉のように。
もう一つは、何がなんだか訳がわからないが、信長の勢いについていたほうが
よさそうだと計算した武将。
もう一つは、信長の頭の良さには敬服していたが、自分の頭の良さで
ついていこうとした武将。
光秀は、最後の種類に入ると思います。
光秀は頭の明晰さで、信長に付きますが、それは優等生的明晰さで、
信長のフレームを超えてジャンピングしていく発想には
ついていけません。
しかしどこかで優等生の傲りがあり、信長を自分の発想のフレームで
囲い込みたい、という深層心理があったのではないでしょうか。
多分、それは光秀の無意識から、信長の無意識へと伝わっており、
二人はいつもどこか齟齬をきたしていたと思います。
そして光秀の中に、どこかで自分と信長を対等にみているという
傲りがあったのではないでしょうか。
信長を天才とは思いたくない光秀がいたかもしれません。
しかし、信長という人は、普通の人間なら躊躇することもで
乗り越え、やり切っていく人です。
それは、比叡山でさえ焼き討ちしちゃうんですから。
信仰をもっている人間には到底できない行為です。
そういう信長の頭の中で、何が起きていたかなどは、
光秀にはとうてい想像もできなかったと思います。
つまり、信長の芸術性みたいなものを
理解できなかったのだと思います。
ただ光秀は事務方としては、相当優秀であったと思いますから、
そこでの自覚を持ち、武将としての限界をわきまえていたら、
信長にとってはたいへん重要なブレインになりえたと思います。
さて、大河は信長と光秀をどういう風に描くのかなあ~?
楽しみにしながら見ています。

