「メシア症候群」を乗り越えるには、、自分の弱さ、軟弱さ、おせっかいさに気づくことから |
コロナで疲れた云々とありました。
疲れるよね~、毎日、なんか神経が張っていて。
このところ<メシア症候群>についいて書いたブログに
アクセスが集中しています。
どこかで、このことについて、なにかあったのかしらね~?
35年前に高村智恵子のことを書いたのが
やっと最近一般にも理解されるようになりましたが、
それと同じように<メシア症候群>についても
やっと最近知られてきたのでしょうかね~。
<メシア症候群>の一番わかりやすいのが
宮沢賢治です。
彼は、多分幼少期に親から自我をへし折られていると思います。
親という自分の前に立ちはだかる大きな壁への無力感が
裏返しになって、
弱い人間を救うというアプローチへとなったと思います。
それと彼は、もの心着いた頃から、宗教的救済を、何かで刷り込まれてしまった。
おそらくそれは浄土真宗ではないか、と思いますが。
地頭が良かっただけに、幼児期から宗教の理念を吸収したのでしょうね。
宮沢賢治の<メシア症候群>については、
拙著「拝啓宮澤賢治さま」に詳しく書いていますので、
よかったらどうぞ!
人間は他人に自分の心を投影して見てしまいます。
逆に自分の心の弱さに気づくのを、畏れて
見ないようにしているのが人間です。
<メシア症候群>は、
自分の心にメスをいれて切り開いて、
相対化する、ということをしないで、
他人をいじくって、救い出すことにより、
だから賢治は、いかに自分が<脆弱であるか、或いは
<軟弱>であるかに気づくことが必要でした。
賢治がそれに気づいた時は、もう
彼の体を病気がむしばみ、死の寸前だったと思います。
賢治がもし、自分の中を検証し、
さらに、親を乗り越え、自分を乗り越えるべく、
考察と行動を起こし、
強い自分、
自若で自在の自分自身になっていったらきっと、
もっと違う生き方をしたと思います。
なにしろ、地頭が良いうえに、教養も高かったですから。
賢治があそこで命を落とさず、いきのびたら、
むしろ、道元や良寛へとアプローチしたかもしれませんね。
まずは<己事究明>、
隅々まで、自分を見つめ尽くし、
自分の弱さにちゃんと向き合い、
自分が此の世で力強く生き抜いていくには、
どうしたら、よいか。
自分のどこが弱く、それをどのようにカヴァーして
乗り越えていくかを
考える。そして行動する。
他人を救う前に、
まず、自分からなのですね。
まあ、賢治が持つ、読解力とその広範な知識とイメージ力、
そして繊細な感性のアンテナからの言葉力を
どう駆使して自分を生かしていくか。
他人じゃなくて、
自分を生かすことを追求していくことが、
すなわち、他者や世の中への貢献になったと思います。
自分が<メシア症候群>だと気づいたら、まず、
自分の弱さ、軟弱さ、さらにおせっかいさと
正面から向き合い、それをいかに
乗り越えていくかだと思います。