久しぶりに
チャイコフスキーのNo.5を聴いた。聴いたが途中で飽きてきて、
ドボルザーク のNo.9に切り替えた。
歴然とした才能の差を感じる。
しかしチャイコフスキーだって、バレー組曲や小品には才能が煌めいている。
おそらく短編作家だったんだろうね。
アンダンテ.カンタータビレなんか、まるで、
掌の中の小箱をそっと開けてみているような、慎ましさと温かさがある。
それはまるで暖炉の前でお話をするお婆ちゃんのような優しさがある。
ただ、彼の音楽の中には、ある種の絶望感もあって、おそらく
子の絶望感は彼の人生に付きまとい、悩まし続けたのではないだろうか。
チャイコフスキーの曲の中では、彼が出口を見つけたとは思えないからです。
同じ絶望感でも、ドボルザーク のそれはカタルシスされているし、
べートーベンのそれは怒りで乗り越えられている。
べートーベンのあのしっこいドン、ドン、ドンと言う終わり方はまさにそれだもの。
それに比べたらチャイコフスキーは優しい分、
絶望も深く、拭い去ることも、乗り越える事もできず、苦しんだかもしれないね。
そう言う事を考えながら、チャイコフスキーを思うと、なんと無く悲しいね。
彼の作曲力では、長編には無理があったかと思えて、
最後の作品の「悲愴」も、もがいたんだなぁ〜と、心が傷む。