私が愛した男たちその4、音楽に人間の翼をつけたモーツァルト! |
モー君はモーツアルト、ベンさんはベートーベンのことです・・・笑!
モー君については取り立てて言うほどの思い出はないけど、
多分彼のピアノソナタはほとんど全部練習して弾いたと思う、けど。
つまり、けど、が着くのは、不思議なことにそのほとんどが
私の記憶から消えている、という始末です。
多分モー君の脳の中はもう音がコンピュター化されていて、
チョー山積みのメロディーパターンの恐ろしいほどの組み合わせが、
自動書記状態ではなかったかと、思います。
だからこそ、楽譜は一音の修正もなく書き込まれ、さらに
感情移入があるようで無い、という不思議な音楽が生まれたのだと思います。
まるで天使か神の使いのような音楽が、
マシンのように次から次へと作られており、
作品は、タイトルがなく、番号で処置されています。
ただね、モー君の人間性については、かなり面白い。
私がモー君の人間性にふれたのは、たぶん高校生の頃に読んだ彼の手紙で、
それは、女の子に出した手紙で、もしかしたらお姉ちゃんに宛てたものかもしれませんが、
(もう昔のことで忘れてしまいましたが)
ず~っとウンチがどうのこうの書いてあり、ダジャレだらけで、
その時私はうんざりして、このクソガキが~と思ったものです。
だからモーツアルトといえば、
なんだかいつもふざけてばかりいた男の子の印象が強く、
映画「アマデウス」を見た時は、あ~あやっぱりそうかと合点がいきました。
つまりモー君にとっては、脳がマシーンのように音楽をつくりだすことと、
遊ぶことしか頭になかったのでは、と思います。
しかし、それは彼が幼児の時から厳しい父上に管理され、鍛えらえ、
子供どうしで遊ぶこともなく、
いつも宮廷や上流階級の大人たちの中で、
天才として賛美されることと同時に、
大人のおもちゃにされていたことの
反動でもあったかな~とおもいますが。
それでもモー君が、いわゆる作曲マシーンではなく人間臭いのは、
皇帝のお取り巻きのおバカな大人の相手をしながらも、
自分らしく、そして自由であろうとしたことで、
自分を守るためには、アホの自分を演出するということでもあったかと
思います。
もしかしたら、口々にに大人から誉められ、
ず~つと天才の坊やでいてね、という
だからそんなバカな大人社会をずーっと見てきたこのモー君にとって、
国王や司教さまの権威なんか、屁でもなく、
司教さまにも逆らい、王様をコケにしたオペラをつくったりと、
なんて奔放で面白いんだろうと、思います。
人生の羽目を外してしまったモー君は、
飲み仲間のシカネーダーと酔っ払いながら(これは私の勝手な推理ですけど)
あの「魔笛」が生まれ、だからこそ、
「魔笛」は荒唐無稽に面白いし、
そしてモー君に嫉妬したと描かれていたあのサリエリ先生。
サリエリ先生はきっと、このくそバカが、どうしてあんな素晴らしい音楽を作るのかと、
不思議に思ったかもしれませんが、
子供の時から天才として大人たちに囲まれてきたモーツアルトにとって、
バカな大人の相手をするには、
脳をくりぬいて空洞の自分にするしかなったのかとも
思います。
モー君の稼ぎは、当時のお金で、医者の収入くらいはあったと思われますが、
私にはこの「レクイエム」を聞いて始めて懊悩する人間らしいモーツアルトを感じました。
ただよくよく見ると幼児の頃に作曲した音楽も実は、何とも言えない不安が
漂っています。もしかしたら音楽マシーンと化したときから
その不安は、天才として、天使の音楽を書き続ける彼の美の奥に終いこまれたかもしれませんね。
晩年に、と言っても35歳で死ぬのですが、書かれた手紙は、とてもまじめに
真剣に作曲に取り込んだことが記されています。
その音楽の翼を以て、神の領域まで登ろうとしたのが、
ベートーベンだと思います。
そのことは次回書きます。


