私の愛した男たち、その6、種田山頭火、傷だらけの中を、生きる! |
次に山頭火にしようか、賢治にしようか迷ったけれど、
山頭火を書きます。
種田山頭火、この人は我がふる里山口県防府のひとです。
どういういきさつから、私が山頭火を読むようになったかは
覚えていません。
ただ、あまりにもその言葉が素直で美しいことや、
私と同じ傷つきやすい軟弱な人間であることや、
いつも、いつも意志の弱い自分と葛藤する山頭火が、
まるで私自身の事のように重なりました。
亡くなる寸前の彼の日記には
食べるものがない中、犬が咥えてきた餅をごちそうになり、
猫にご飯を食べられたりのエピソードが書いてありました。
もう彼の自我がほどけて、流れるままに任せる山頭火がいます。
いつもいつも自分の自我を捨てることと格闘したきた私には
そのエピソードが、私の人生を導く灯のように思えます。
若い頃に、山頭火の略歴を読みました。
その中で、
小学生の山頭火が家に戻ると、
井戸に投身自殺した母親の遺体が引き上げらた場面に出くわします。
その時、山頭火がどんなに衝撃をうけたかと思うと、
痛ましく、胸が詰まりました。
だから、その先の彼の人生がグタグタになっていくのも、仕方がないことで、
よろよろとよろけながらも俳句を読んでは自分を立て直して、山頭火は
生きました。
その山頭火の生き様を辿りながら、
私も自分を立て直しては、生きてきたと思います。
なにかあって、心が折れたなら山頭火の句を読み、
美しい言葉を探しては山頭火の句を探します。
今、テレビでタレントさんたちが読んだ俳句を
先生が手厳しく直します。
でもね、山頭火の句を読めば、
俳句は心をそのまま書けばいいんじゃあないかな~!
例えば暑いなあ~とおもったら、そのまま暑いなあ~と・・・。
山里はひたむきに柿の赤くて
あすはおまつりのだんじり組み上あげて、雲
枯れてゆく草のうつくしさにすわる
夕焼けうつくしく今日一日はつつましく
水にそうていちにちだまってゆく
ほどようご飯が炊けて夕焼ける
なんの草ともなく咲いていてふるさとは
種田山頭火
こんなふうでいいんじゃないかな~と。
私はいつも山頭火の句に励まされて生きてきたきがします。


