私が尊敬した男たち、その1道元、放てばかえって手にあふれ! |
夢うつつのなかで
ずーっと
「はなてばてにみてり」という
道元の言葉が巡っていた。
「正法眼蔵」の<辯道話>の章のなかに
出てくる言葉で
訳者は
「放てばかえって手にあふれ」と
している。
夢の中で私はしきりに
執着を離せば
開放感が溢れてくる。
と
考えている。
物、事、そして人への
執着を棄てることで
こころはどんどん自在になる。
特に、人への執着から離れている時の
私自身は
心も身も
なんと
軽やかかと
思う。
人への執着とは
そこには
自己保身や
自分の心理不安を埋めるために
他者のエネルギーを使おうという
甘えがあるからね。
他者とは本来
自分にとっては遠い存在であり
一人一人は
世界の中で
屹立している。
私は
その断絶を承知の上で
付き合いたい。
私にとって
人間はどう見えるかというと
私はいつも他者の中に
可能性をみている。
その可能性は
その人自身の中に
失われずに宿っている
柔らかい感性でもあり
おそらくそこを閉じ
既成観念や固定観念に
凝り固まり、安住し
自分を閉じている人間には
私は反応しないと
思います。
その人の自我の扉の
ほんの少しの隙間から
漏れ出る光を
私は逃さない。
私自身がいつも
自分の中を
サーチライトで照らしながら
何分かの可能性を探しているように
他者の中に可能性の光を見たとき
私の命が躍る。
少しずつ、少しずつ
そのひとが
輝きはじめると
ほんとに
嬉しい!
自らの中にある
可能性の井戸を掘りあてた
その人は
どんどん自立しはじめます。
自立するとは
自分の中から光りはじめることでも
あります。
その光から
私も学び
さらに
私の光もその人から
惹きだされます。
そこからは
お互いが
可能性と
エネルギーを
増幅させることができる交友が
始まる。
そういう風に
その人が
自分自身のために
生きている
或は
生きだすことこそが
私自身の希望へと
繋がる。
人間は
そのひとが
しっかりと
<孤の道>を決心したときこそ
そこには
「放てばかえって手にあふれ」
という
至高の世界が始まるのだと
私は
確信している。


