2020年 09月 16日
いよいよ地方の時代がはじまるよ!その10最終回 私は遠野を愛してしまいました。 |
私には、ふる里がありません。
なぜなら、父親の仕事の転勤で、移動ばかりしていたからです。
生まれたのは北九州市の門司区です。
門司区では8歳まで過ごしました。
それからは父親の転勤で、下関市、さらに関東の藤沢市、
栃木県真岡氏、そして最後は東京の中野区でした。
私自身は門司と下関がふる里かな~とも思うのですが
どうもそれほどの郷愁も思い出もないのが、実のところです。
だからふる里がある人がうらやましいです。
遠野や花巻にかかわるようになってから、
真っ青な空と雲、美しい田園と田舎道、
黒屋根瓦の家や石碑や神社などに心惹かれ
うっとりしました。
それは遠い昔から流れる時間の中にどっしりと在り、
そこで営々とひとびとが生き、暮らしたことが、
今もそのまま紡がれていると思うと、
無言の歴史という足場を持っている人々が、
ほんとうにうらやましいです。
遠野に通い、更に撮影のロケで四季折々の遠野中を回るうちに
美しい華麗なる、空も、田んぼも、山々も人家もが、
沸々と私の心に喜びを与えてくれました。
そして遠い昔から今の時代まで、
どれほどの人々の汗と労働と努力が、
この地に注ぎ込まれたかと思うと
そのスケールの大きさにも感動するのです。
そこには大切な、大切な、目には見えない時間の連続があり、
都会のように大げさでもなく、けばけばしくもなく、
ひっそりと、しかし
自然と共に生きて息づく人々の、
息吹きがありました。
田舎に幻想をもっいるんじゃないの、という人もいるかもしれません。
しかしもう73年も生きてきたら、
都会だろうが田舎だろうが、いいこと半分、悪いこと半分、
人間が住むところはどこでも、そんなもんです。
ただ、この美しい風景、光景だけは、はんぱにできるのものではない。
もう人生の時間がない私には、遠野のこの風景が宝物のように思えます。
そして、都会とは別の時間を生きている人々のこともです。
それは饒舌ではないけれど、その穏やかさと素朴さが、
そしてその控えめな佇まいも、素敵だなあ~と思います。
C・W・ニコルさんのことを話します。
今年の初めに遠い所へとたびだったニコルさんは
私達夫婦の大切な友人でありました。
年に一度はニコルさんに会いにアファンの森へ行きました。
その時ニコルさんが話してくれたある言葉が、私の胸に突き刺さったままです。
ニコルさんは
「わたくしは、日本を愛してしまいました。」と言いました。
ニコルさんだって日本に来て、いいことばかりだったわけではないでしょう。
いやなことも、日本の閉鎖性も、外国人に対する偏見も、
たぶんいろいろあったと思います。
でもね、そんなことも全部含めて、ニコルさんは、日本を愛してしまったと
言いました。
実はこの映画の英語版の監修をニコルさんが引き受けてくれました。
ただ、映画が完成したとき、もうニコリさんの体が、いけませんでした。
でも病室に原稿を持ち込んで、なんとか監修しようとしてくれたそうですが、
もう、いけませんでした・・・。
ニコルさんが、日本を愛してしまったというように、
私も遠野を愛してしまいました。
それはなぜだか、わたしにもよくわからないのです。
ただいつも目に浮かぶのは、遠野のあの空と山とそして田んぼの美しさ、
人々がやさしいかったこと、
そればかりです。
宮澤賢治「注文の多い料理店」の序の文のように、
『けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、
おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、
どんなにねがうかわかりません。』
ほんとうに、ささやかですが、この映画も、
そうなることを願います。
<終わり>

なぜなら、父親の仕事の転勤で、移動ばかりしていたからです。
生まれたのは北九州市の門司区です。
門司区では8歳まで過ごしました。
それからは父親の転勤で、下関市、さらに関東の藤沢市、
栃木県真岡氏、そして最後は東京の中野区でした。
私自身は門司と下関がふる里かな~とも思うのですが
どうもそれほどの郷愁も思い出もないのが、実のところです。
だからふる里がある人がうらやましいです。
遠野や花巻にかかわるようになってから、
真っ青な空と雲、美しい田園と田舎道、
黒屋根瓦の家や石碑や神社などに心惹かれ
うっとりしました。
それは遠い昔から流れる時間の中にどっしりと在り、
そこで営々とひとびとが生き、暮らしたことが、
今もそのまま紡がれていると思うと、
無言の歴史という足場を持っている人々が、
ほんとうにうらやましいです。
遠野に通い、更に撮影のロケで四季折々の遠野中を回るうちに
美しい華麗なる、空も、田んぼも、山々も人家もが、
沸々と私の心に喜びを与えてくれました。
そして遠い昔から今の時代まで、
どれほどの人々の汗と労働と努力が、
この地に注ぎ込まれたかと思うと
そのスケールの大きさにも感動するのです。
そこには大切な、大切な、目には見えない時間の連続があり、
都会のように大げさでもなく、けばけばしくもなく、
ひっそりと、しかし
自然と共に生きて息づく人々の、
息吹きがありました。
田舎に幻想をもっいるんじゃないの、という人もいるかもしれません。
しかしもう73年も生きてきたら、
都会だろうが田舎だろうが、いいこと半分、悪いこと半分、
人間が住むところはどこでも、そんなもんです。
ただ、この美しい風景、光景だけは、はんぱにできるのものではない。
もう人生の時間がない私には、遠野のこの風景が宝物のように思えます。
そして、都会とは別の時間を生きている人々のこともです。
それは饒舌ではないけれど、その穏やかさと素朴さが、
そしてその控えめな佇まいも、素敵だなあ~と思います。
C・W・ニコルさんのことを話します。
今年の初めに遠い所へとたびだったニコルさんは
私達夫婦の大切な友人でありました。
年に一度はニコルさんに会いにアファンの森へ行きました。
その時ニコルさんが話してくれたある言葉が、私の胸に突き刺さったままです。
ニコルさんは
「わたくしは、日本を愛してしまいました。」と言いました。
ニコルさんだって日本に来て、いいことばかりだったわけではないでしょう。
いやなことも、日本の閉鎖性も、外国人に対する偏見も、
たぶんいろいろあったと思います。
でもね、そんなことも全部含めて、ニコルさんは、日本を愛してしまったと
言いました。
実はこの映画の英語版の監修をニコルさんが引き受けてくれました。
ただ、映画が完成したとき、もうニコリさんの体が、いけませんでした。
でも病室に原稿を持ち込んで、なんとか監修しようとしてくれたそうですが、
もう、いけませんでした・・・。
ニコルさんが、日本を愛してしまったというように、
私も遠野を愛してしまいました。
それはなぜだか、わたしにもよくわからないのです。
ただいつも目に浮かぶのは、遠野のあの空と山とそして田んぼの美しさ、
人々がやさしいかったこと、
そればかりです。
宮澤賢治「注文の多い料理店」の序の文のように、
『けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、
おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、
どんなにねがうかわかりません。』
ほんとうに、ささやかですが、この映画も、
そうなることを願います。
<終わり>

映画「どこかに美しい村はないか」
~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~
いよいよ大阪上映です。●大阪市東成区の「スペースふうら」さんで上映します。
9/27日は、東京上映です。
人形町の三日月座さんで!!
入場者には佐々木悦雄さんのジュースとプレゼントします。
席は、のこり一つとなりました。
予約はこちらからお願いします。
by denshinbashira
| 2020-09-16 06:13
| 映画「どこかに美しい村はないか」
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