2020年 09月 26日
人間の幸福とはなにか、それを考え続けた中からこの映画がうまれました。 |
いよいよ明日東京上映となりました。
コロナのために、予定していた東京の試写会もそして上映会もが
中止となり、なにもかもが狂ってしまった中で、
やっと東京上映となりました!
嬉しゅうございます。
これまでの応援と支援をくださった皆さま、
ほんとうにありがとうございました。
さて、この映画の通奏的なテーマは、
AI時代を迎る未来を
人間はいかに生きるか。
いよいよAI時代を迎えますが、AIの働きは
皆さんが予想されているより、
はるかに凄いことが起きるのではないかと
思います。
たとえば、ドローンにつけたAIが、田んぼの上を滑空する中で
一瞬にして稲の穂についている米粒の数を一読み取り、その収穫量を抽出する。
つまりその田んぼの稲の穂に何粒の米が付いているかを、正確に読み取るのです。
それは概算ではありません、正確な数字です。
またAIを土中に差し込むと、その田んぼの土壌成分の分析が一瞬にでき、
土壌の化学コントロールがさらに進む。
つまり農薬や化学肥料の施肥が自動化されていくのです。
牧畜では、牛の首にAIをつけて、牛のバイオリズムが刻々と報告され、
それにより、牛の飼育やお産までがAIで管理され、
牛舎が無人化されます。
それは農業だけではなく、社会全般に及んで、
商業における仕入業務や接客も全部AIが担当し、
無人運転の車は勿論のこと、
人間の医療などには、恐ろしいほどに、
その威力が発揮されると思いますが・・・。
土壌分析と同じように
人間のバイオリズムも一瞬にして観察でき、
もしかした施手術もAIロボットになるかもしれませんね。
芸術の分野でも、もうすでにAIが作り始めています。
億単位の人間のデーターを集計、分析し、統合するのですから
そこにはある程度の人間の普遍性を、つかみ取ることができ、
それが芸術表現として為されるという訳です。
さまざまな分野で
人間の能力をはるかに超えたAIの働きが社会を
征していくと思います。
そんな中で、人はどのように生きたらいいのか?
もう耳にタコができるくらい書きましたが、
そもそも人間は水棲動物から陸へ上がって進化し、
二足歩行になり、手を自由に使え、
言葉や道具を発明したところから、脳の知能が各段に発達し、
進化が進みました。
人間が生き延びるための智慧が脳で考えだされ、
大脳の新皮質が生まれ、
つまり生命の保全と危機管理として脳が発達し、
18世紀にはテクノノロジーを編み出し
それを具現化しながら、
人間とその社会は現代まで生き延びてきました。
もともと他の動物に比べて、
脆弱な動物であるが故に集団が社会を形成し、
その社会で起きる生産性や小競り合いを解決するために
人間の脳も体も進化してきたのです。
つまり人間は、自分が生き延びるために、
そして生命の保全と幸福のために
脳や身体を使って、テクノノロジーを生み出し進化させてきたのです。
しかし、見落としてはならないのは、
テクノノロジーが発達する反面、
人間の能力は低下していくという
パラドックスが生まれてしまった事です。
もはや頭をつかわなくても計算や考察が用意され、
身体をつかわなくても生活が滞らない。
それが極限化されるのがAIという人人工知能社会です。
いかにも完璧な社会が生まれそうに思えますが、
しかしその社会の大きな落とし穴は、
人間が劣化し、退化しかねないという危機です。
人間はその危機や、問題性を解決する中で
進化し、社会を発展させ、テクノノロジーを生み出したのですが、
その危機や、問題が解決されていくということは、
もう、人間は頭をつかわなくても、身体をつかわなくてもよい。
さらに人間は働かなくても、AIがやってくれる、
ということになり、
逆に、脳や体が空洞化するという危機が生まれると、いう事です。
産業革命以来、テクノノロジーの世界を突っ走ってきた人間の社会は
さらに自然をコントロールし、
人工エネルギーを用い、
自然エネルギーも気象すらをもコントロールしようとする人間。
その先端である都会生活はどんどん人工的なもので囲い込まれ、
自然と乖離するものとなるでしょう。
もし地方までがその囲い込みになっていった時・・・。
果たしてそれは、人間にとってどうなのか。
果たしてそは人間にとって幸福であるか、どうか。
果たして幸福であるか。
私はず~っと人間とはなにか
人間の幸福とは何かを考え続けてきた人生であったと思います。
そして今、人生の終末をむかえ、
人間にとってのほんとうの幸福とは何か、それを願いながら
この映画を作りました。
人間とはなにか、
そして人間の幸福とはについて話しだすと、もう話が尽きません。
ただ、おそらくは、人間がその欲望に対する自制や謙虚さを
はっきりと自覚し、
人間とは、まぎれもなく、他の動物や虫や花たちと同じであり、
自然の中から生まれてきたものであることに気づき、わきまえた時、
AI時代の負の遺産を乗り越える知恵がまた、生まれてくるのだと思います。
そしてそのヒントが映画の舞台である遠野にあると思い、
美しい遠野を撮りました。
この映画を作り、そして上映できますこと、
心より感謝いたします。
ほんとうに、ありがとうございました。

by denshinbashira
| 2020-09-26 06:06
| 映画「どこかに美しい村はないか」
|
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