映画「どこかに美しい村はないか」 は、AIの時代、人間がうしなってはならないものはなにか!を問いかけます。 |
複雑な事は全部AIロボットがやり、
これまで人間が頭を巡らせてやっていた複雑な思考もロボットがやり、
反対に、人間はより単純化し、短絡した思考回路しか持てなくなる。
牽引していく社会になるという事です。
それはまさに、人間は無能になり、無用になる社会であり、
映画「どこかに美しい村はないか」は
単に昔を懐かしむ、ということでも、昭和の時代を感傷的に思い起こす、ということでもありません。
失ってはいけない、ことを伝えます。
映画予告編でのことばのように、
●もしかしたら、とてつもない、大変なものをうしなうかもしれないのです。
どうぞ皆さん、この映画を見にきてください。
人間がう失ってはないらない、大切なものとは何かを、
今、考えてください。
コメントの仕方とかよくわからず、ただ愛読させて頂くばかりでしたが・・・映画の感想だけはお伝えしなければと・・・これで送信できるのかどうか不安ですが・・・
観終わって直後の感想は、観た人が「ああ美しい映画だったなあ」と思うだけで、パンフレットには書かれているけれど田下様の危機感とかは十分理解されないのではないかという危惧の思いでした。でも不思議なことに翌朝パッと新たな思いが!「いや、それでいいんだ。青い空、雲、緑の野、満天の星、田植えするばっちゃまたちの底抜けの笑顔、何よりガラス絵の中の人々の素朴で人間らしい暮らし等をいいなと思う。観た人の心に残る。私も一生忘れないだろう。それこそが、これからのAI時代の非人間的事象を少しでも食い止める力になるんだ」と。
菊池様の「無肥料・無農薬だから自然農法なのではない。自然の声に耳を傾け、自然と協働しての米作りなのだ」という御言葉が一番心に残りました。未来への示唆を感じました。
もう地球は救えないところまで来ているのではないかと暗澹となることが多い昨今ですが、この映画は絶望を語っているのではなく、希望はあると将来への道筋をも示してくれているように思われました。素晴らしい映画を作ってくださって有難うございました。
ありがとうございました。
『観終わって直後の感想は、観た人が「ああ美しい映画だったなあ」と思うだけで、
パンフレットには書かれているけれど
田下様の危機感とかは十分理解されないのではないかという危惧の思いでした。
でも不思議なことに翌朝パッと新たな思いが!
「いや、それでいいんだ。青い空、雲、緑の野、満天の星、田植えするばっちゃまたちの底抜けの笑顔、
何よりガラス絵の中の人々の素朴で人間らしい暮らし等をいいなと思う。
観た人の心に残る。私も一生忘れないだろう。
それこそが、これからのAI時代の非人間的事象を少しでも食い止める力になるんだ」と。
素晴らしい!その通りです。
映画では特別AIの危機などを描きませんでしたが、
麦穂さんおっしゃる通りです。
ただただ、「どこかにあるであろう美しい村」を描きました。
そしてお願いがあります。
あんまり素晴らしいご感想なので、
よかったら私のブログでご紹介させていただけませんでしょうか。
是非是非よろしくお願いいたします。
「最新のコメント」欄を見る習慣がなかったので、つい先程まで気付かず、遅くなってすみません。たいへん失礼いたしました。
私の感想をブログで紹介してくださるとのこと、ちょっと恥ずかしい気もしますが、光栄に存じます。
全文でもかまいませんが、長いので適当にカットして頂ければと思います。
パソコンの扱いに不慣れなので、送信に失敗ばかりしているのですが・・・今回は届きますように。
よろしくお願い申し上げます。(麦穂mugiho12@gmail.com)
原稿もすでにできており、プライバシーを守るために、
核のところを抜きだしてご紹介させていただきます。
おっしゃるとおり、この映画は、AIもエの字もでてきません。
それは、もしかしたら、人間にとってはとても苦しい時代になったとき、
それでも人々はきっと考え、何を失い、何を取り戻さなければならないかに
気づき、もう一度やり直すであろう、という人間への信頼を失いたくないからです。
美しさを失ってはいけないこと。
茨木さんが詩の中で謳うように
人と人の力を取り戻しすこと。
それをひたすら願い、希望として描きました。
こんなに映画を深く理解していただけたこと、ほんとに感動いたしました。
ありがとうございました。
コメントでの麦穂様のことば、
「青い空、雲、緑の野、満天の星、田植えするばっちゃまたちの底抜けの笑顔」
「人々の素朴で人間らしい暮らし」
を岩手県芸術祭での映画説明文へ引用させていただきました。
大変申し訳ございませんが、
時間がないために事後承諾でお願いいたします。
本文は以下の通りです。
今、大きく時代が変わりAI時代へ入ろうとしている。高度のテクノロジー社会の中で、
人間の幸福とは何か、失ってはならないものは何かを問う。
映画は、児玉房子のガラス絵に導かれるように、伝統や手仕事の世界、さらに突き抜ける空や雲、美しい田園と満天の星、田植えする婆つちゃ達の底抜けの笑顔など、遠野の四季と素朴で人間らしい暮らしを描いていく。リンゴを自然栽培する農夫ののどかさ、そして米作りの若い夫婦は、未来のためにも婆っちゃ達から学ぼうとする。巻末では茨木のり子の詩が、美しい村と人と人の力を謳う。
先ほどの麦穂様のコメントの中の文の引用については、娘から怒られました。申し訳ありません、引用はあきらめ、私の駄文にしました。
ほんとに素敵な言葉と表現で感動したあまりのことでしたの、
どうぞお許しください。ほんとに素敵でしたので、その言葉なら、多くの皆さんこの映画の本質をに伝えられるな~と思ってしまったのです。
今日は、午前中忙しかったので、今やっとPCを開き、さあブログを拝読しようとして気付いた次第です。
私の感想文の語句を使ってくださるのは光栄なことですし、事後承諾で全然かまわなかったのですが・・・申し訳なかったです。
岩手県芸術祭にも出展されるのですね。素晴らしいことですね。また、その御報告等をブログで読ませて頂くのを楽しみにしております。(麦穂)
その通りです。私も、言葉を生業としているのに耄碌してしまいました・・・情けない・・・苦笑!
それでもこんなに綺麗な言葉を書かれる方と、ブログで繋がってていることがとても嬉しゅうございます。
ほんとにありがとうございました。
やはり麦穂様のあのコメント文を、色々な箇所で引用させてください。私には、あの言葉以上に、この映画の本髄を言い当てたものが見つかりません、どうぞお許しをお願いいたします。
私のことば、自分では平凡な表現だとの思いなので褒めていただくと面映ゆいのですが・・・お役に立つなら、いつ、どこで使って頂いてもいいですよ。
本名ではないから「誰にもばれないし」(笑)と思ったりしてます。
実は、私は卒論は「宮沢賢治」様だったんです。もう55年も前ですが、一人で岩手県のあちこちを歩いたこと、よい思い出です。
なので、ブログの宮沢賢治論はいつも興味深く読ませて頂いております。御著書の『拝啓宮沢賢治さま』も、以前にアマゾンで取り寄せて読ませて頂き、それこそ「目から鱗」の新説でしたが、深くうなづかされる共感の思いで大変感銘を受けました。
つい長くなりました。すみません。私信になってしまって・・・非公開にできましたらそのほうがよいのですが・・・よろしくお願い申し上げます。(麦穂)
ありがとうございます。
そうでしたか、宮沢賢治の縁なのですね。
嬉しゅうございます。
麦穂さんはどんなふうに賢治を思われたのかを
お聞きしてみたい気がします。
そしてこの出会いを感謝いたします。
いつかお会いできれば嬉しいです。
では、遠慮なく麦穂さんの言葉を
拝借させていただきます。、