昨日はユーチューブを一本撮りました。
そこでお話したテーマは、
なぜ遠野を選んだのか、ということのもう一つの柱である
●文化の継承についてです。
文化とは何か、というと。
もう、大胆に言い切ってしまうと、
文化とは、人間がどう生きたらいいかを模索してうまれてきた
もろもろです。
人間は人類史の中を、連続に、そして時には不連続に
ず~っと文化を継承しながら、生き伸びてきたのです。
たった60~80年の命でも、私達ひとりひとりそういう時代の時間の
一コマを担って生きているのです。
ところがそれがプツンと切れたのが
それがIT情報社会です。
つまり極端にいうと、
人間は模索し、考察するということが、
情報を得るということにすり替わっていったのが
情報文化です。
そしてあまりに洪水のように流れる情報によって
自分がどう生きたらいいかが分からず、
情報の中をさまようという
人々がたくさん出てきたと思います。
人間の脳は、情報過多になるとフリーズします。
もう考えなくなるのです。
そして今度はAIテクノロジー文化に入ると、もう
人は考えなくても、AIがそれを代理してくれます。
文化とは人間が生きるためのソフトです。
例えば、宗教などは、
人間が自分たちの限界を超えて答えをだそうと、宗教を編み出しました。
伝統行事もお祭りも、自分たちのエネルギーを放出していきます。
お祭りなどは、特に負のエネルギーを集団で一気に解消していきます。
文学も、芸術も、そして教育も商業もそうです。
その根底に流れるのは。
人間が、どう生きたらいいかの模索です。
映画「WOOD JOB!(ウッジョブ) 神去なあなあ日常」なんかを見ると
人々が自然と協働する模索としての信仰や祭りがあります。
人類史はず~っとそこを追い続け、考察し続け、そして実践の中で
それぞれの文化を積み上げてきました。
それはつい最近まで、いろいろとありましたが、
それがプツンと切れてしまいました。
さて、もうお分かりでしょうか。
つまり私達は、もしかしたら人類史の中で、ず~っと自分で考え
模索して積み上げてきた文化を、失うかもしれないのです。
実際のところ、それはどんどん消えたり、途切れてしまったりしています。
そしてなぜ遠野かというと
●遠野にはIT社会以前の痕跡が、たくさん残っているからです。
まずは田園風景ですね。そして、人々が
暮らしの中で、育んできた伝統技術や、伝承やお祭りや、生活技術がまだ
そこにあります。
例えば遠野に行くと、町の中の遠野神社、深い山の懐にある早池峰神社や、六角牛神社神社、
それらはいわゆる観光化して、絵葉書のようになった神社ではなく
人々の暮らしの中の畏怖からうまれた神社が、そのままあります。
神楽があり、また遠野の各地区すべてに、それぞれのしし踊りがあります。
おそらく日本全国にもそれらが残っているところがたくさんあるでしょう。
遠野はそのひとつの象徴です。
昔に帰れ、ということではありません。
そうではなく、AIの時代になっても、私達は文化を継承し、育まないと、
人間はおかしくなると、私は危惧するのです。
それは私達一人一人が、
人間が、そして自分がどう生きたらいいかを模索し、
自分で考える、という、
とても大切なことが、どうなるのか。
でもね。、たぶん、行く衝くところまで行ったとき、
人間はきっと気づいてくれると、私はそこに託し、
この映画を撮りました。

映画「どこかに美しい村はないか」
~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~
10月24日(土)釜石PITで上映されます。
どうぞ皆さん見に来てください。
能勢監督と私も会場にいます。
10月31日(土)東京上映 日本橋人形町 三日月座映画館
まだ席はいっぱい空いています。
こちらも皆さん見に来てください。
詳しく映画公式サイトでみてください。
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