わきまえて生きる女たちの素敵さ! |
能勢監督から「田下さん、いかにも東北の女性らしい人を
探してきてください。」と言われました。
いかにも東北の女性とは、どんな人だろう、と考えていた時
ふっと浮かんだのが、附馬牛人形の姫の顔でした。
附馬牛人形を見に行った時、ガラスケースの中で
もう下半分が破れて傾きかけていたその姫の顔は
決してあでやかはありませんでした。
しかし、
京人形や、博多人形などの派手さはないが、
いわゆる媚がなく、なにかひたむきなものがありました。
どういったらいいんでしょうね~。
多分東北の暮らしの中の厳しさで磨かれた知性というか、
辛抱強く、耐え忍ぶような美しさを感じました。
だから映画のパンフレットでは、その姫を大きく載せました。
昨日のカウントダウンをしてくださった、
遠野千葉家具店の明子さんにも、そういうものを
私は感じます。

これは私独特の女性論で恐縮ですが、
私から見た見たいい女、
素敵な女とはどういう女かと言いますと、
「わきまえる(弁える)ことを知っている女性」です。
実はこの言葉は、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」中で
ほんとにさりげなくドストエフスキーが
「鳥も虫もその生をわきまえながら生きてる」とサラリと
書いています。
(すみません原文は忘れましたが、このような内容です。)
以来、私の中で、わきまえながら生きる、ということが深い印象となり、
私の人生を先導するフレーズになっています。
自分という人間をしっかり弁え、
女の性を内部で燃やしながらも背筋をしゃんと伸ばし、
ことさら自分を顕示することなく、他者(男)に媚びることもなく、
しっかりと、そして淡々と、役割をこなして生きる女性。
そういう女性を私は、女として素敵だな~と思うのです。
それは東北の女性だけではなく、
例えば鹿児島の篤姫の中にも、それを感じますし、
東京の樋口一葉の中にも、そういう矜持がありました。
しかし、東北の女性は、ことさらそういう気質があるように思います。
実のところ、東北といっても多くは岩手県ですが、
チャラチャラと媚びた女性にあまり会ったことがありません。
反対に遠野では、指折りそういう女性達と出会いました。
それがわたしを強烈に岩手、遠野へと惹きつけたとも思います。
勿論それが描かれていたのが、
児玉さんのガラス絵の中の女たちであることは
言うまでもありません。
残念ながら、日本の社会は男主導の社会です。
しかしその中でも、誰にも知れらず、しかししっかりと
女を生き、そして女の性を全うする女たち。
そういう女たちの生きざまを透明に、眩しくみつめながらも、
この映画が完成したことを私は喜び、感謝します。

まだお席がたくさんあります。

