通俗の真っ只中を生きているはずの君が じつは そこからはるかに俗を超越した 孤高の人生を 歩いていたことに 私は敬意を表します。その3 |
初めて彼のボスである巨匠の写真をみました。
そして。あれっ!もしかして・・・。
私はこの巨匠の作品を二本みています。
一つは「キクとイサム」もう一つは「楢山節考」で
二つともが暗く、重苦しい作品でした。
鮮明に記憶にあるのは「キクとイサム」です。
そして今回初めて、その巨匠の顔をみて、
大変失礼ですが、率直に言いますと、
凡庸なのです、森安君の顔にくらべて!
巨匠が撮る作品は、人間の不条理と社会正義ともう重量級の人間論世界です。
しかし私が見ていた森安君は、
逆のベクトルを持っていたような気がします。
(以後は、森安、と当時のように呼び捨てにしてかきますので。)
つまり彼は口では悪口雑言をいい、態度も悪党風ではありましたが、
彼は決して他者を傷つけないのです。
逆に彼のショーモナイ喜劇の中へとみんな引き込まれると、
つい、そのドタバタ喜劇の中で、みんなばかばかしくなり、
ホッと息が抜けて、楽しいのです。
もしかしたら彼の才能は、そちらのほうにあったかもしれません。
そこにこそ、彼の軽妙で、キラキラした才能があり、それも
かなり前衛的な才能があったような気がします。
多分、外大の仏語を専攻したのかな~、よく覚えていませんが、
そういう洒落たセンスをもっていたような気がします。
ところが、森安の師匠の巨匠は、まったく逆の人間告発の世界のようなであり、
そこでは、おどろおどろしい現実を突きつけられます。
ただね、はっきり言うけど、
不条理の世界を描くより、条理の世界を描くほうが難しいです。
暗い暗黒は、しっかりとその正体、姿が浮き出ており、
反対に光の世界は、亡羊でつかみにくく、それを表現することの方が
難易度が高いのです。
もしかしたら森安の才能は、彼の師匠の暗黒で執拗な世界に、
押し潰されたかもしれませんね~。
最終的に、彼は師匠の世界から失踪してしまいました。
そして失踪後は、もうそこに帰ることはなかったそうです。
それは強烈な師匠とその弟子という風に伝説化されています。
昨日、何十年ぶりに、森安の親友であった米山君に電話をしました。
昔どおりに、
「お~い、よねやま~、いきてるか~ッ」って
留守電をいれたら、即
「生きてるよ~!」って電話が帰ってきました…笑い!
それで今回のいきさつを話し、
森安の失踪のことを知っているか、尋ねました。
「いや~、俺も、その辺のことは知らんのよ。」という事で、
あゝ、やっぱり森安は、双子のように仲のよかった米山にも
何も言わずに死んでしまったのだと、思いました。
そういう奴なんですよ、森安は。
あゝ涙が出てきた。
彼が一ミリも批判も不平も漏らさず守ったその巨匠。
しかし反対に巨匠は、ほんとに森安のことを理解していたのかな~・・・???
でもね、森安の葬儀の時、彼の出身の立川高校から大勢の同級生が詰めかけました。
みんな森安の伝説を話します。
どれだけ彼が立校の生徒達に愛されていたか。
堅苦しいお嬢さん育ちの私が、ズッコケて、
世の中何でもアリの世界観と、
自由奔放の自分へと解き放たれたのは、まさに
森安、米山、松村(クモ)との強烈な出会いでした。
世の中は魑魅魍魎の妖怪世界であり、
まさに日常的に繰り返される喜、悲劇の中にこそ、
人間の実相があり、それこそが
面白いんだと言うことを教わりました。
そして今私は、極端な悲劇、極端な愚劇の世界ではない、
極めて凡庸な世界を淡々と能勢監督と撮りました。
そこはね、ほんと美しかったよ、森安!
生きてたら、きっと,
お~、お前もやるじゃンと、上から目線で、
褒めてくれただろうな~!
クソッたれ、森安よ、
大好きなお前のことを書いてやったぞ!!
お前、天国で、米山に借りた金、返せよ!
終わり