2021年 01月 20日
ズレる良寛、揺らぐ良寛の中にこそ! |
なぜ良寛に惹かれるかというと、
良寛は僧であり、修行者でもありながら、
修行者にありがちな、完成しようとする自分を
持とうとしないからです。
いつでも、あゝかな、こうかなと迷っては、
頭を振り振り考えるひとのように見えます。
松岡氏が、そういう良寛の人間性として
悟りるとか、悟れないの、境いめにいる彼の
魅力を書いておられます。
この境いめ、ということが大事なのです。
良寛の漢詩にしても、いつも
まあ、ちょっとこれでいいのかな~と迷っている姿が
すけて見えます。
あゝ自分ではどうしようもないなあ~と
嘆息をついている良寛です。
だからこそ、私もそこに自分を重ねられるのです。
あゝ、どうしようもないな~、
どうしたらいいのだろう、という私です。
そして、良寛も私も、しばし思惟に沈んだ後。
さてと、と
その固執から脱して、
スタスタと歩き始める。
「外は、良寛」では、松岡氏はそういう、
そこがいわゆる高僧と言われる人たちとの違いである良寛の、
魅力です。
同じように、芸術作品に対しても私は、その未完なズレや、揺らぎがあるものが
好きです。
バシーっと極めたもの、塗り固めたもの、細密が過ぎるものには、
どうしても心が動きません。
多分美しいものは皆、この揺らぎやズレをもっているのではないか、と思います。
そこに人が、作り出す美の妙味があるように思います。

良寛は僧であり、修行者でもありながら、
修行者にありがちな、完成しようとする自分を
持とうとしないからです。
いつでも、あゝかな、こうかなと迷っては、
頭を振り振り考えるひとのように見えます。
松岡氏が、そういう良寛の人間性として
悟りるとか、悟れないの、境いめにいる彼の
魅力を書いておられます。
この境いめ、ということが大事なのです。
良寛の漢詩にしても、いつも
まあ、ちょっとこれでいいのかな~と迷っている姿が
すけて見えます。
あゝ自分ではどうしようもないなあ~と
嘆息をついている良寛です。
だからこそ、私もそこに自分を重ねられるのです。
あゝ、どうしようもないな~、
どうしたらいいのだろう、という私です。
そして、良寛も私も、しばし思惟に沈んだ後。
さてと、と
その固執から脱して、
スタスタと歩き始める。
「外は、良寛」では、松岡氏はそういう、
良寛の<揺れ>や揺らぎ>や<ズレ>やを指摘して書いておられます。
そこがいわゆる高僧と言われる人たちとの違いである良寛の、
魅力です。
同じように、芸術作品に対しても私は、その未完なズレや、揺らぎがあるものが
好きです。
バシーっと極めたもの、塗り固めたもの、細密が過ぎるものには、
どうしても心が動きません。
多分美しいものは皆、この揺らぎやズレをもっているのではないか、と思います。
そこに人が、作り出す美の妙味があるように思います。

by denshinbashira
| 2021-01-20 05:54
| 良寛の世界
|
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