2021年 01月 25日
「どこかに美しい村はないか」タイポグラフィーによる実験 、美しい文字の王国! |
この度1月23日神戸、旧グッケンハイム邸で行われた
ニコール・シュミット先生のご指導のもと14名の学生さんが
作品を作り、展示してくださいました。
そこには

企画は映画「どこかに美しい村はないか」を鑑賞後に
帰りの新幹線では、能勢監督とその展示写真を見返しながら
夢中で検証し、
二人ともがちょっとしたショックで感動しておりました。
会場に入ったとき、それはハッとする厳粛な文字の世界のようでありました。
よけいなものを一切省き、
ステンレスのパイプに吊るされた、黒と白の文字の王国。

作品を見て廻りながら次第に、
私の文字に対する固定観念が覆され、脳の中でミキシングされ、
いい意味でショックな新鮮な感動がありました。

「どこかに」という文字が、空や山でしょうか。
そして「美しい」と「村」が田園の中に点在する人家であり。
あゝ文字によって、風景が、描かれている!
またこの作品は
四隅を25度の角度で三角形に切り、

手で稲を植え、手で草をとる農作業の手間に重ねたそうです。
ただ、私は見た瞬間に、
あゝこれはドローン撮影の視覚世界だなあ~と、思いました。
ドローンで撮る俯瞰の映像のようです。

そこには、私がまったく予想もしていなかった
文字の王国が顕れていました。

私は物書きのはしくれですから、頭の中に浮かぶイメージが
文字になって降りてきたのを、
書き留めます。
つまり初めは頭の中でかなり亡羊としたイメージのものが
言葉になって降りてきたとたんに
それは限定され明確なイメージになっていきます。
さらにそこに、意味や、価値が、生まれてきます。
私は文字とはそういうものだと思いこんでいました・・・・。
それは能勢監督の映像世界もそうであり、
そこにはだだっ広い映像の世界がまずあり、
そこから観客が独自に映像を読み取って限定してゆき、
意味や価値が生まれるというシチュエーションです。
つまり映像が先で、それがやがて言葉へと収斂されていくのです。
それは映画のことを詳しく話さなくても、
「良かったね!」とか「素敵なシーンだったな~」とかいう風に・・・。
ところがタイポグラフィーでは、
始めに文字があり、文字から刺激されてイメージが広がる、という
まったく逆のシチュエーションがそこに在ります。
その文字の中には、かなり限定されたイメージがある、しかし
今度はそこから、、それぞれの観客が文字から刺激され、解放されて
イメージを膨らませるということが始まります。
つまり、映像とは逆バージョンが生まれるているのです。
あゝ驚いた!こんな逆バージョンがあったのだ!
私にとっては不意をつかれたような面白さに
何とも言えない感慨がありました。
文字にたいする私の先入観や固定観念がぶっ壊されて
映像から広がる世界と、
文字から広がる世界の
両方が開いた!!という感じです。
思えば私が書く文字も、そこから皆さんは各々イメージを広げて
読んで下さっているのですものね。
また今回の作品はストイックなくらい、文字のみに限定された、
美しい光景が展開されていました。
そこには、能勢監督の言葉を借りるなら、
絵やイラストや色に頼らない、
凛とした文字の理知的世界がある。
もっというなら、
人間の文化は、言葉を発明し、文字を発明したことに原点があります。
今回の文字の王国は、文字が、毅然たる存在を示しておりました。
ニコール先生は、その基本たる基本をしっかりと生徒さんに
教えておられるのだと思いました。
制作ノートでは、いかに学生の皆さんがひたむきにこの実験に
取り組んで下さったかが、書いてありました。


ニコール先生、そして学生の皆さん、ほんとうにありがとうございました。
そしてニコール先生や学生の皆さんを支えてくださった助手の長松先生、
さらに会場デザインと設営をしてくださった会社「NEO」の皆さん、
そして旧「グッケンハイム邸」のスタッフの皆さん
心より感謝と御礼を申し上げます。

旧グッケンハイム邸です。
映画「どこかに美しい村はない」タイポグラフィーによる実験
で、はじめてタイポグラフィーの世界を見せていただきました。
ニコール・シュミット先生のご指導のもと14名の学生さんが
作品を作り、展示してくださいました。
そこには
不思議な文字の国が顕れました。

企画は映画「どこかに美しい村はないか」を鑑賞後に
この映画のポスター、チラシを、
タイポグラフィ(文字)で制作するというものです。
帰りの新幹線では、能勢監督とその展示写真を見返しながら
夢中で検証し、
二人ともがちょっとしたショックで感動しておりました。
会場に入ったとき、それはハッとする厳粛な文字の世界のようでありました。
よけいなものを一切省き、
ステンレスのパイプに吊るされた、黒と白の文字の王国。

作品を見て廻りながら次第に、
私の文字に対する固定観念が覆され、脳の中でミキシングされ、
いい意味でショックな新鮮な感動がありました。
例えば、この作品は遠野の風景と、
田園の中に点在する人家を
文字であらわしています。

「どこかに」という文字が、空や山でしょうか。
そして「美しい」と「村」が田園の中に点在する人家であり。
「ないか」が手前に広がる集落のように見えます。
下地には茨木のり子の詩がうっすらとあります。
あゝ文字によって、風景が、描かれている!
またこの作品は
四隅を25度の角度で三角形に切り、
どこからでも読めるようにしてあります。

その時、
紙を少しずつ廻してみなければならない、その手間を
手で稲を植え、手で草をとる農作業の手間に重ねたそうです。
ただ、私は見た瞬間に、
あゝこれはドローン撮影の視覚世界だなあ~と、思いました。
ドローンで撮る俯瞰の映像のようです。
そしてこの作品も、文字がイメージを刺激し、
どこかに!という言葉へと導いています。

そこには、私がまったく予想もしていなかった
文字の王国が顕れていました。

私は物書きのはしくれですから、頭の中に浮かぶイメージが
文字になって降りてきたのを、
書き留めます。
つまり初めは頭の中でかなり亡羊としたイメージのものが
言葉になって降りてきたとたんに
それは限定され明確なイメージになっていきます。
さらにそこに、意味や、価値が、生まれてきます。
私は文字とはそういうものだと思いこんでいました・・・・。
それは能勢監督の映像世界もそうであり、
そこにはだだっ広い映像の世界がまずあり、
そこから観客が独自に映像を読み取って限定してゆき、
意味や価値が生まれるというシチュエーションです。
つまり映像が先で、それがやがて言葉へと収斂されていくのです。
それは映画のことを詳しく話さなくても、
「良かったね!」とか「素敵なシーンだったな~」とかいう風に・・・。
ところがタイポグラフィーでは、
始めに文字があり、文字から刺激されてイメージが広がる、という
まったく逆のシチュエーションがそこに在ります。
その文字の中には、かなり限定されたイメージがある、しかし
今度はそこから、、それぞれの観客が文字から刺激され、解放されて
イメージを膨らませるということが始まります。
つまり、映像とは逆バージョンが生まれるているのです。
あゝ驚いた!こんな逆バージョンがあったのだ!
私にとっては不意をつかれたような面白さに
何とも言えない感慨がありました。
文字にたいする私の先入観や固定観念がぶっ壊されて
映像から広がる世界と、
文字から広がる世界の
両方が開いた!!という感じです。
思えば私が書く文字も、そこから皆さんは各々イメージを広げて
読んで下さっているのですものね。
また今回の作品はストイックなくらい、文字のみに限定された、
美しい光景が展開されていました。
そこには、能勢監督の言葉を借りるなら、
絵やイラストや色に頼らない、
凛とした文字の理知的世界がある。
もっというなら、
人間の文化は、言葉を発明し、文字を発明したことに原点があります。
今回の文字の王国は、文字が、毅然たる存在を示しておりました。
ニコール先生は、その基本たる基本をしっかりと生徒さんに
教えておられるのだと思いました。
制作ノートでは、いかに学生の皆さんがひたむきにこの実験に
取り組んで下さったかが、書いてありました。


ニコール先生、そして学生の皆さん、ほんとうにありがとうございました。
そしてニコール先生や学生の皆さんを支えてくださった助手の長松先生、
さらに会場デザインと設営をしてくださった会社「NEO」の皆さん、
そして旧「グッケンハイム邸」のスタッフの皆さん
心より感謝と御礼を申し上げます。

by denshinbashira
| 2021-01-25 08:06
| 映画「どこかに美しい村はないか」
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