「女たちへ」その2,美しい倍賞千恵子さんの顔のシワ! |
映画はあまり良い出来とは言えませんが…笑い、
歳を取られた倍賞千恵子さんの顔の皴が
素敵でした。
今般私が嫌だな~と思うのは、
やたらと若さへの執着を煽る風潮がまかり通っていることです。
特にもういい年の女性が肌がつやつやになったとか、
法令線が取れたとか、
やたら若さへの媚や願望があります。
テレビCMは、そういう化粧品や健康サプリメントばかりがを流し、
世の風潮としても、そのように見えます。
そこには年を経た人間の、大人としての成熟の文化がありません。
大人としての貫禄や、
精神年齢の高さによる自信や風格が、欠落しています。
本当は、年を経ることは経験値が増え、世の中のことが
どんどんわかり、思想や哲学が生まれ、
大人の文化がそこに生まれるはずなのです。
年を取るという事は、
人間としての熟成ができてゆくという
魅力的なことなのです。
本来は、
そういう風に熟していく年寄りをみた若者が、
こういう風に物事の道理や、
世の中の不条理が分かり、
自分もそれを弁えたいな~と年齢による熟成を願望するものです。
今の風潮は、
大人の大人たる大人の欠落、
大人が自信をおらず、
大人の文化が希薄であることを、
本当に残念に思います。
人間は順調に歳を取れば顔には皴やシミができ、
老人の顔になるのです。
髪も薄くなり、男は禿げるのです。
そこにこそ、年を経た者の存在価値があるのです。
厄介な世の中、不合理な人間社会を生き抜いてきた老人の
高い知性がその皴の中にこそ、あるのです。
人間はその生き方が、はっきり顔に現れていきます。
顔は脳のディスプレーですからね、
脳の内容がそのままディスプレーされるのです。
「お帰り寅さん」の中で、倍賞さんが順調に歳をとられ、
その皴の顔が素敵でした。
女優さんの中では、故樹木希林さんと賠償さんは、
ご自分の年齢をちゃんと受け入れておられ、
そこにお二人の知性の高さを感じます。
さらに映画「どこかに美しい村はないか」の中の
ばっちゃ達の顔は、私の眼には眩しいくらいに素敵でした。
人間も木のように枯れていきます。
枯れた木は、中がカラッポになっていきます。
人間も年を取りながら 覚醒してゆけば行くほど、
苦悩が枯れて、どんどんカラッポになってゆくものなのです。
若さにしがみつくなど、愚の骨頂です。
老人、老女のその後姿をじ~っとみている者がおり、
自分はその姿を晒しながら、背中で教えているのだという
老人としての誇りと矜持を以て
皴の顔を晒して生きていきたいと、
私は考えています。
