美しいものとはなにか。 |
ヘルマンヘッセの「漂白の魂」を読み、
私はその文章の美しさに心が満たされた。
本筋の内容は勿論のこと、
美しく整然とした文章のその理知に、こころがさざめきながら
読んだのだ。
そしてもっとその快感を得たく、高校生の頃によんだ「車輪の下」を
再度読んでみたくなり注文した。
ヘッセ晩年のエッセイも取り寄せて読んでみよう。
同じようにアンデルセンの「生きるべきか・死ぬべきか」を読んでいた時も
主人公が戦場で瀕死の状態になったときのシーンに重なって、
トルストイの「戦争と平和」でアンドレイが戦場で負傷したときのシーンを
思いだした。
瀕死の彼が見上げた空、
美しく晴れ渡り、果てしなく続く空を見ながら、
なんて人間は小さいのだろう、と思う、その
シーンを思い出した。
私の頭はどうやら美しいものとは、そういうものであると、いうことが
あるらしい。
美しいものとはなにか、
それは人間の理知によって究められたものと、
そしてそれとは反対に
人間には及びもつかないような自然の美しさや
その大きな畏怖の中に包まれた時ではないか、と思う。
そういう意味では、映画「どこかに美しい村はないか」の
遠野のロケは感動の連続であった。
そしてあの映画の中にこめた、人間の大切なものを映像化できたことが
このうえもなく嬉しいです。