大衆の幻想の神坐にチョコンと治まっている賢治より、
彼の本当の姿のほうが、よほど価値があると、私は考えます。
彼の人生はもうコテンパで、さんざんでありましたよ。
最後はその安着さが決定的にうちのめされて「雨ニモマケズ」を
「銀河鉄道の旅」こそは、彼の自己葬祭の小説であり、
ロマンとか、ファンタジーなんての、ナマやさしいものではないです。
ただ、あまりにことばが美しいので、みんな騙される・・・苦笑!
やること為すことすべて失敗し、すべてのことを失い、すっかりあきらめ、
一切の夢から醒めて、殺伐とした現実を生きようという、
(あの世にに行くのをあきらめて地上に戻るジェバンニです。)
そういう風に見ると、迷い、さまよう賢治の現実的な姿にこそ
彼が葛藤したもの、格闘したもの、そして夢見たもの、さらに
怯え、怖れ、苦しみ格闘した賢治の姿を理解できると、
うわっつらを撫でたようなものを書かない、描かない。