正岡子規考、いい年をしてときめいた?! |
※ これは以前書いたものです。
71歳のいい歳をして胸がときめいた。誰に、正岡子規にです。
ま、71歳だから発情して、ときめいたのではありません…笑!
男に対するそういう発情ホルモンなどはもうとっくに干あがっていますからね!!・・・大笑い!!
そうではなく、人間としても、男としても、なんてダンディなのかと思ったのです。
ダンディといっても、オシャレでもなく、その容姿も、むしろダサい部類に入るかもしれませんが、
その・近代性と・時代を見据える慧眼、時代がどう変遷しようと、
一本の気骨を有して生きるというダンディーさです。
しなやかな気骨をもつダンディーさです。
歳を経れば経るほど、人間を包括的に包み込もうという私があり、私の視線は優しくなりました。
しかし、その一方では、どんどん厳しく人間を選別する眼が私に生まれて来ています。
つまり一方ではもうあきらめて人間を見ている眼ともう一方では、
それでもその人間が深い知性と考察力を有しているかどうかを見究め、
選別している私がいるということです。
その選別、選眼する私の中には、高次のもの、高邁な精神を持つ人をいまだ求めている私がいます。
そういう人間がいることをあきらめていない私がいるということです。
そういう私が子規の「墨汁一滴」を読みながら、子規にときめいた、という訳です…笑!
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司馬遼太郎さんの著書「この国のかたち」四の中に
「自己を正確に認識するというリアリズムは、ほとんどの場合、自分が手負いになる。
それには大変な勇気がいる。」という一文があります。
自分とはどんな人間であるか、自分はいかなる内容をもって生きているかを知るには。
自分が自分に抱いている幻想がぺシャンコなる、という傷を経なければ
手に入りません。
それはまさに自分が地べたにたたきつけられるという体験であり、
それこそが自分という人間のリアリズムが見えてくる条件でもあるのです。
そして幻想の自分がへし折れたその地点から、
再び生きなおしていく時にこそ素晴らしい自分と、
自分のリアリティーが立ちあがっていきます。
しかし、残念ですがそのリアリティーを獲得する人間はほんとうに過小であり、
しかし子規は、その立ち位置を得てたように思います。
得ていたからこそ、子規は新しい時代が見えていた。
それまでの日本、江戸時代の日本とはまったく異なる新しい明治という時代を見据え、
さらにそこに自分のリアリズムを持ちこもうとしました。
それが子規における俳句の写実ということだと思います。
そして、その一方で更に必要なのは人間の原点として、
自分が何に依拠していきるかの問いであり、
それこそが一本の気骨とこころざしである。
このふたつのベースをもって彼が生きていたように思います。
それは死の寸前まで、維持し持続され、自分の死を見据えながら
「墨汁一滴」を書いたと思います。
つまり子規の目において、これまでの時代をどう総括するか、
さらに新しい明治の時代に、何が必要で、
どう生きたらいいかの選別を書き綴ったと思います。
しかし、声高に「墨汁一滴」にそれを綴っているわけではありません。
その視点と視線の中で日々綴られたそこには、
厳しい選眼と論評と,
もし彼が生き続けることはできたら何を成し遂げたかったかが淡々とかいてありました。
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今時代は大きく変化しています。
江戸時代から明治へと時代は変化した時のように
IT,とAIの時代というこれまで誰も体験もしなかった世界で、私たちはいきている。
しかし、どれほどの人が、これからの時代をどう生きたらいいかを考察しえているのだろうか。
さらにあたらしい時代を迎えるにつき、
単に、変化していくことと同時
●変化させてはいけないことは何かをも子規は考察しえ得ていたと思います。
これは私たちにとっても、大きな課題です。
それについて、いまだに、誰もそれを人々に、突き付けておりませんが。
しかし、それは既に問われている。つまり、私たちは
時代から問われているのです。
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墨汁一滴」を読みながら、或る種の風が私の中を通り抜けていきました。
その風は、私を安心させるとともに、私の「こころざし」(生き方)を問われるものでもあります。
私が何に依拠してこの時代を生きるかを残り少ない私の時間、
何を大黒柱として果てていくか。
遠く子規を眺めながら考えましょう。