核の保有が抑止力になるという世界のまやかしを剥ぎ取った。
子供でもこの理屈がいかに割に合わないか、知っている。
使わない武器に膨大なお金をかけるくらいなら、
そのお金を使って国々が仲良くするため使った方が、どんなに有効であるか。
脳科学的に言えば、人間の脳はある年齢を越えると、その思考がどんどん柔軟性を失う。
今回、非常に老獪であるが、
被害者意識に囚われ、その思い込みが、著しく尋常さを欠いていると思われる老人が、
あのおぞましい核攻撃なボタンを
握っているという、とんでもない
危機に、私達は晒されている。
できるなら、宗教やイズム(主義)を超えて、それぞれの国がその歴史や経済の成り立ちを尊重され、
それぞれにその独立と個性を
保障されながら、
いかに、高邁なる精神のもとに
共存していくかの世紀にしなくてはならない。
あのおぞましい原爆を投下され、痛ましい絶望を味わった
唯一の国として、
この小さな国日本と日本人こそが
本当に微力ながら、努力と熱意を持って、世界の中で何か役割を果たして欲しい。
今はとにもかくにも、ウクライナを救い出し、絶対、核戦争にならないように、
全世界で考え、知恵を出しましょう。
砂つぶより小さい自分のその無力さ微力さを痛感しながらも、
心を痛め、そう考えます。
