先般亡くなられた作家大江健三郎氏も、
人間の無意識にある高邁な世界をなんとか言葉にするべく頑張れました。
困難な難易度の高い仕事であったと思います。
氏がノーベル賞を受けた事で、
私は少しガッカリしました。
もし漱石にノーベル賞の話が来てもおそらく彼は、
「そんなもんいらないよ」と一蹴したと思います。
おそらく漱石にとっては、いかなる権威も権力も関係ないところで、
小説を書いていたのではないかと、
思います。
彼も良寛が好きでしたからね。
ひとつはシリーズ3「夏目漱石が見た西洋近代と未來」で書きましたが、
漱石は西洋には幻滅し、失望しており、
むしろ東洋の哲学や思想性を高く評価していたと思います。
多分西洋人のくれる賞などにはなびかなかったと思います。
もうひとつは、漱石はむしろそういう通俗的上昇志向を嫌い、
むしろ反骨な使命感を持って作品を書き続けたと思います。
賞なんてものはどうでもよく、
それに関しては、
シベリアから帰ったドストエフスキーもおそらく同じだったと思います。
その立ち位置だからこそ、人間がより深く見えていたと思います。
深く厳しい目で人間を見ていた二人の作品の底に流れているのは、
ただひたすらに、
自分の思うところだけに、
頭を駆使し、エネルギーを注ぎこんで人間を書いたと思います。
人間の欲どくしさや、いやらしいことや愚かしい事などに辟易しながらも、
ドストエフスキーなどは
死刑にされそうになったのですから
二人とも、絶望感も厭世感も並々ならないものがあったでしょうが。
それに悩み嫌悪しながらも、
人間が生きるほんとうの価値を
見ようとしたと思います。
故に、作品は深い陰影を持ち、厳しく暗渠を描くものになりました。
私が言いたいのはそういう使命感を持って生きることの凄さ、素晴らしさです。
人生をかけて漱石もドストエフスキーも、その使命を果たしていきました。
だから書く事以外のあれこれは無用なのです。
漱石は高名になり文部省から博士号を送られましたが、断ります。
また同じように、
時の総理大臣西園寺公望からサロンに招かれますが、断ります。
時鳥(ホトトギス)とは、漱石流アッカンベーではないか、と私は解釈しています。
時鳥は、もとは田植えを告げる鳥であり、一方では死を告げる鳥でもあり、親友の子規の名は、ホトトギスから由来したものです。つまり、
それはその層が最も漱石にとってリアリティがあったからです。
コイツらがいちばん病んでると思っていたのではないでしょうか…苦笑。
私は、漱石の殆どの作品を若い時に読んだので、これからもう一度読み直しをしようと思っております。
その時、インテリ層では無く、社会の底流を支える々を、
漱石がどのように書いているのかに注目して読み込みたいと思っております。
そうしてもうひとつ特筆すべきは、
ドストエフスキーも漱石も、
先般読み終えた「明暗」にでてくるお延も、お秀も、清子も、
そして負けずにドストエフスキーも、女達を書くペンが踊ってます。
「罪と罰」のソーニャもドーニャもちょっと狂ったカーチャも、
なんて素敵なんでしょう!
さらには「カラマーゾフの兄弟」にでてくる妖婦グルーシェンカも、ヒステリーのカーチャも、
みんな逞しく、力強く、素敵です。
私は漱石もドストエフスキーもどこか女性を尊敬していたと思います。
奥さんの鏡子さんに対しても、
女には、かなわないなぁ〜と思っていたかもしれませんね。
あとがき2、なんて聞いたことない、なんていう人もいるかもしれませね(笑)