偉大なる理念としてのデモクラシー、そして主権在民の日本の
大衆が主役となった社会はなぜ、
社会が退廃するのか。
オルテガの分析を基に、脳の機能の観点から考えてみます。
ホセ・オルテガ・イ・ガゼットが「大衆の反逆」を発刊したのが1930年、今から100年弱前の時代です。
労働者階級が主権を持つ共産主義国やナチスなどのファシズムが台頭して来た時代です。
つまり大衆社会をバックに、単一の主義や価値しか認めず、言論統制する歪んだ社会が台頭して来たのです。
そしてせっかくデモクラティックな社会になったのに、反動が起き、ファシスト達の独裁にやられてしまいまいます。
この時オルテガが考えたのは、
すべてにおいての前提である、
大衆社会こそに問題の根があるのではないかと言うことです。
大衆の存在そのものに、原因があると彼は考えたのです。
断って起きますが、
オルテガが指摘している大衆とは、
無名の人々、足を地につけて黙々と働き生きる人々ではありませんよ。
むしろオルテガは、そういう人々を尊敬していましたし、私もそうです。

みずからを、特別な理由によって、よいとも悪いともせず、
自分がみんなと同じだと感ずることに、いっこうに苦痛を覚えず、
他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持ちになる、
そのような人々全部である。
独自の考察力や客観性に欠け、他者や集団に同化するを良しとし、
世の動静に流されて、
自分の規範や生きる拠り所をなくし、
根無しの浮き草のように生きる人々です。
こういう人々は、個性のある人間を押しつぶし、こういう人間が権力をもった時、
その凡庸な精神が非凡で秀でた個性を積極的に抑圧していくと、
オルテガは書いています。
このオルテガの指摘の中
特に、自分と他人とが同一であるような錯覚は、かなり深刻だと思います。
本当は、人間一人一人がまったく別ものであり、
極論をいえば、断然を介してしかわかり得ないのに、
他者を自分と同じようだと錯覚してしまうこの脳の

錯覚が、
もしかしたら人間関係におけるトラブルの大半の原因になっているかもしれません。
ただ私はオルテガ指摘している事は、オルテガが書いているような、

脳の原理と属性がもたらすものだと、私は考えます。

さまざま起きる社会の事象の解決や

統治のシステムをどうするかや、

最終的には、平和をもたらす関係性とはどのようなものか、に繋がっていくと、思います。