もうひとつ、オルテガが指摘している厳しいことがあります。
非凡な人間が、凡庸な人々によって潰されるということです。
人間は自分の思いこみの世界の中で生きていることを書きました。
凡庸な人間は、自分の脳世界が、自分の思いこみであることにめざめず、
その自分の物差しですべてを測ってしまい、
ついには、非凡な人間の世界を理解できず、潰してしまう、ということです。
オルテガの言う凡庸な人間は、
イコール大衆を指しています。
実はほんとうに残念なのですが、これが大衆社会の実情です。
オルテガはそれを大衆社会の原理、属性と見ていますが、
脳が自分の思いこみの脳世界から脱出していく為には、
そう言う風な学習のプロセスを経て、人は非凡

開眼していくのです。
反対に、これも非常に残念なのですが、デモクラティックな大衆社会では、
その平等の観念が逆に、
大衆を甘やかして、
ほんとうは、自由と平等は理想的な理念であり素晴らしいことなのですが。
例えばネット社会などまさにそういう大衆の群れです。
ネット社会が登場すると同時に、人々はこぞってそこへと流れ込んで行きましたね。
ほんとうは、そこで立ち止まって、
これは是が非かを、個々に考え検証すぐ事が必要なのにです。
.コロナ下のオリンピックだって知性ある人はその欺瞞性を分かっていたのに大衆は…。
昨今は、いよいよそれが激しく、
マスになった人々がなだれこんでいきます。
また、異端や異質を排除し、潰す人々のその現象こそが、
非凡な人間を凡庸な人間が潰してしまう社会現象となっている。
そして今、ほんとうに残念ですが
オルテガのいう、根無し草としての大衆現象がまさに、
薄っぺらな擬似知識人が、メディアを占め世論を誘導しています。
ホリエモンと茂木健一郎氏がある本の中で、マーケティングや調査の事を対談しており、それを読んだ私がその本を憲雄氏に見せましたら、
憲雄氏が、
二人ともがマーケティングの事など良く知らないのに、
知ったかぶりで、デタラメを言っていると、怒っていました。
こんな社会が、長続きするはずがないと私は考えます。
この社会の在り方に、多くの人々が
疑問を持っているはずですよ。
心ある人々は、
なぜこうなるのか、と言う疑問の中にいるはずですよ。
今のデジタル社会は単なる通過社会だと私は考えています。
これから来るA I社会では、更に知性、知能による格差が起きるでしょう。
また、世界は食糧難が来るでしょう。
その時A Iテクノロジーが必要でしょう。