この場をお借りして、 |
気持ちが沈んでいると中々仕事に身が入らない。
人間はこれほど自分に執着する動物かと、
改めて思う。
多分、忙しすぎて自分を返り見る暇のない人間が、
どんどん軽薄になっていくのも、わかる気がするし、
それはそれで、気の毒だと思う。
大学時代友達だったひとが、何年か後に会ったら、
すごく軽薄な感じになっていて、ガッカリしたことがある。
彼は、メディア関係の仕事をしていて、
いつも流行の先端の仕事なので、
常に浅く早くという現場にいあるらしい。
その流れに乗っていないと仕事にならないらしい。
物事を深く掘り下げてなんかいられないらしかった。
学生時代はとても内面の深い人だったのにネエ。
以前買った播磨みどりさんの作品
赤ん坊の首を、
愛知県の豊田市美術館に貸し出すことになった。
かなり衝撃的な作品で、
コピー用紙を使った首のオブジェで、
赤ん坊の首が薄気味悪く笑っている。
買うとき、もっとくみしやすいものをと考えたが、
その薄気味悪さの尋常じゃないのに引かれ,買ってしまった。
やっぱりすごいインパクト。
こうでなくっちゃね。
会田誠、小沢剛、村上隆、奈良善智など、
そうそうたるメンバーと一緒に展示されるらしい。
それらの作品に比べて、播磨さんの作品は
コピー用紙を使っているが、
通俗性をいっさい拒否した、純芸術性な作品なので、
どういう反響があるか楽しみです。
この作品は播磨さんと一体化して作られており、
だから、妥協や媚、などが跳ね除けられている。
そこの凄さを、
あの横浜トリエンナーレのキュレーターたちは、
学んでもらいたいものだ。
あの薄気味悪さは、彼女が自分の内面を突き詰めさらけ出している。
だから、見る人は顔を背けたくなるのサ。
横浜トリエンナーレもサぁー、
「日常からの飛躍」と銘打ち
「非日常てきで、意外性に富み、高揚感をかもし出すような
祝祭的な空間・・・」と言うなら、
祝祭は楽しいばかりじゃないヨ。
悲しいこととか、
おどろおどろしいものとか含めて、
祝祭じゃないの?
そうすると企画がもちと立体的になるヨ。
突き詰め方が甘い。だから、
気の抜けたサイダーみたいな作品ばかり集めて。
クソたれが。
前に泉ピン子のところで書いたけど、
民衆は、非日常空間で、毒やガスを抜きに行くんで
ナニ、ファミリアにしたかったの?
まさかー。
だったら、遊園地に行きゃいいじゃん。
何もアートなんかでなくても。
私はバカだから、自分をごまかせなくて、
普通から考えるととんでもないことをしでかす。
たとえば今回のように、
旦那の会社にのりこんだり、
ファックスを送ったり、
しかし、自分の中の一番大切なものを取り返しに行くだけだ。
みんなはキチガイと思うかもしれないけど、
我慢して、良い妻を演じていたり、
心の広い女を演じているうちに、
どんどん心が干からびて
自分のなかの生々しい感情がカプセルに入ったみたいになって、
その内、生きている実感を感じられなくなる。
大切な人には、奇麗事なんかやってなくて、
キチンと向き合ってもらうために、
相手のかぶっているからを突き破るくらいの
ひたむきさが必要だと思うヨ。
世の中には、本当は隙間風が吹きまくっているのに
世間を欺いて生きている、
仕事人間の旦那と、事なかれ主義の妻が
ごまんといると思うヨ。
一度きりの人生だからネ。
悔いのないように、
ちゃんと絆のある関係を作って生きたいと、
私は思っている。
それは、世間の通評なんかより、
はかり知れないくらい大切なことだと
私は思っている。
それにしても主人は相当迷惑したと思います。
すみませんでした。この場を借りて
お詫びいたします。