憎しみは無力感の表れ。 |
たしかに自分が憎しみや嫉妬に駆り立てられているとき
その裏には、自分が入り込む余地のない
或いは排除されている、
手が届かないことへの深い悲しみと焦燥感があります。
私の嫉妬のチャイルドは、自分が無力であることを受け入れがたく
執拗に怒りとなって私を乗っ取ってしまいます。
そのとき私の胸は悲しみに塞がれてしまします。
表面的には強い攻撃のように見える嫉妬や憎しみこそ
その人間が自信を失い、心がさまよって苦しんでいることの
裏返しなのだということを肝に銘じていたいものです。
出来れば正論などを振りかざして切り捨てず、
ほんの少しの共感と労わりを示すことでその人間は随分救われるものです。
さて、今日のテーマを含めて昨日の夜から、
ズーと頭をめぐっていることがあります。
入院中病室が一緒だった女性の話です。
彼女は手術前の不安から非常に落ち着きがなく、
何かのきっかけから、自分のことを話し出したのですが。
とにかく、自分のことしか頭にないらしく、
このタイプは中年女性によくいますネ。
まあプライバシーの事もあるので大まかに言うと
長年ご主人とのあいだがどうも心が通わない状態にある。
関係はご主人が命令リードし彼女がいやいやながら従う。
といったものらしい。
あくまでも彼女側からの発言ですが・・・。
彼女がご主人に色々要求しても聞く耳を持たず相手にされない。
そんな中で子育ても終わり、
50歳になったのでご主人から自立しようとしたら
ご主人の身内の人の介護をしなければならなくなり、
機を逸して5年たってしまった。
今から自立しようにも、介護の人を放り出すわけにも行かず
又経済的にもこの年で仕事もなく、
人生の再出発が理想なのにそれを挫かれ
毎日悩んでいるとの事でした。
ナルホドなるほど・・・。
ちょっと見ただけで
彼女が自分の思うとおりにするためには
色々解決しなければならない現実が山ほどありますが
それについてはカットさせていただき
今日は彼女が簡単に言ってしまっている
『自立』
ということについて。
冒頭に書いた、嫉妬や憎しみの感情も
実は自立していない自我が
相手の感情に依存していることから起こります。
つまり自分という核があいまいで、
自分が相手を愛するのではなく、
愛してもらう、もらいたいという感情の上に自我があるからです。
幼い頃愛情をもらっていない自我は
愛情に飢えながら成長して大人になっていますから
その不全感を満たしてくれる相手をいつも求めています。
断っておきますけど、
日本中で親からキチンと愛情をもらっている人間なんてほとんどいませんからネー。
ナン万人に一人くらいのもんです。
自分が嫉妬や憎しみを持っていないと思っている人も
ほとんどがそういう関係が起こらないように仮面をかぶって
人間同士の深い関係から逃げているのがほとんどです。
そういう人間に限って自分の感情にふたをしているため
いつの間にか分厚い殻のなかの安全圏にいるけれど、
表面的に社交的友人はいても
本当は物凄い孤独者なんです。愛を必要としています。
その証拠に日本には「愛」幻想が蔓延しています。
特に日本的なのは、「母性愛」の過剰な信仰。
男達の勘違いは甚だしいよネー。
露出の激しい服を着るバカ女達も愛情飢餓児です。。
いつの間にか日本はケバケバしい「愛」ばかりが
幅を利かすようになってしまった。
奥ゆかしい優しさはどこへいったんだろー。
まあ、あまり嘆いても仕方がない。
本題に戻ろう。
つまり愛されたいと思っている限り、
ジリツはありえない。
自立するというと、ほとんどの人が経済的に自立し、形として、
一人で生きることと思っているけど、
実はこの自我がキチンと一人で立っていないと、
またモトノ木阿弥。
何度やっても同じことを繰り返す。
自分がやりたくないことばかりやらされているといううらみ、
自立すれば全部が自分の時間となり、
旦那から開放もされ自由になれると
思い込んでいる。本当にそうかネー。
きっと又何か
自分が被害者になるための
別のネタをさがしてくると思うヨ。
結論を言うと、自立とは
いかなる環境、いかなる運命、宿命においても、
いつも自分の核が損なわれず、
自分の運命を切り開いてゆく勇気と意欲に満ちている状態を
ジリツといいます。
自分で立つ、他人には他人の人生があり、
自分の人生と他人の人生が対等に、平等に聳え立っている。
いいっ、
聳え立つくらいのスケールが必要なんヤヨ。
といっても人間はすぐくじけてしまう。
嫉妬もします。憎しみもします。
しかしそれも人間だからです。
そういう動物なんです。
そんなふうにあがきながら、でも
そこから自分を立て直し、生き直して又歩き始める。
一生かかってかかってやっとできるくらいな
難しいことナンヨ。ジリツは。
だから何度も何度もくじけながら、でもあきらめずにやるんです。
専業主婦であろうが、周りにいやな人間だらけであろうが、
関係ない。
養っていようが養われていようが、
じぶんがドウ「生きる」かを自分が決める。
決定するのは自分です。
心理学では人間は一番その人にふさわしいところで
人は生きているといいます。
支配的な夫を選んだのも自分、
いやなことばかりやらされる環境を
選んだのも自分
逆に、そんな夫をさっさと捨てるのも自分
いやなことをいいことに変えるのも自分です。
人間はよく現実をそのまま見ないで,感情を通し見るため、
現実は感情によって都合よく歪められてしまいます。
だったら、抜き差し行かないと思っている現実を
別の感情で覗いたらドウでしょうか。
きっと180度転換した世界が見えてきますヨ。
喜びも悲しみも嫉妬も憎しみも、
すべて自分という人間のカケラです。
いっさいがっさいを自分の物として引き受けて
二本の足で聳え立っている。
これが私の
自立,自律した人間像です。
まだまだ私は足元にも及びません。
しかし渾身の力で、
現実をそのまま受け入れるぞー・・・・。
と思っています。
それでは又。
ずばりです!
「手が届かないことへの深い悲しみと焦燥感」
これまた・ずばりですね。
手に入らないものが、自分のもっとも欲しいもので
手に入って当然だと思っていた場合・・・
ほんと・この世の終わりみたいな悲しみが襲ってきますよね。
私も現実をそのまま受け入れる勇気を、ぜひ・身につけたいです。
ピーターさん、貴女の若さで、自分の嫉妬心を見つめられるなんて、
とてもすばらしいことです。嫉妬して当たり前なんです、人間は。
ただ嫉妬したり憎んだりして苦しむからそのトンネルを抜けていくことが出来るのであり、苦しまないで、自分をごまかしている人に人間的な成長はありません。若いんです、自分の感情を思いっきり開放してください。
そして格闘して一歩一歩成長してください。あせらずにね。
苦しいときはいつでもコメントください。きっと貴女苦しみに少しながら共感できると思います。私のブログは、これからの若者のために開いたブログです。私が58年かかって得た人間なるものの心について、お役に立てたらうれしいです。
旦那と話し合ってみました。
hashira さんのアドバイスで自分を磨けたおかげで、
素直に気持ちをつたえ、相手の気持ちにも
素直に耳を傾けることができました。
いつもアドバイスをありがとうございます。
非常に心強いです。夫婦間の悩みが解消できただけでなく、
私の考え方・・狭かった心が少しだけ広くなったような気がします。
これからも成長していきたいので、
hashira さん助言よろしくおねがいします。