殺すな! |
その間ブログはお休みです。
という訳で、今日はちょっとシビアなことを書きます。
今日はクリスマスです。キリスト教の原点です。
因習と戒律に縛られたユダヤ教から人々を解放するために、
イエス・キリストはがんばり、命を落としました。
それは「愛」を説き、「平安と和解」を説き
自分の内面を見つめることを教えました。
いつも一番傷ついている者のそばにいました。
『新約聖書』の世界です。
キリストが死んだあとからキリスト教はおかしくなりました。
迫害を恐れて、世間と妥協し、集団化し「旧約聖書」を信仰する人々と
妥協しました。
そして今に続いていますが、
アメリカのイラク戦争を強烈に支持しているのは、
保守的なキリスト教信者です。
彼らは、キリストが一番嫌った、
『選民』意識に満ち、
他宗教を否定し、蔑視しています。
まさに地に落ちた
キリスト教です。
今日伝えたいのは、キリスト教も、仏教も、イスラム教も、
そして日本の天道も
みんな基は同じということです。
ちょっと難しくなりますので、
恐ろしいほどに私流に簡素に説明すると、
それらの宗教の根源的な認識はほとんどが、
人間の意識が無限大に分解されて行った時に或る世界観です。
そこには無文節のゼロポイントがあると認識しています。。
それは,老荘思想の「道」であり、大乗仏教の「空」「真如」
禅の「無」とかであり、
イスラム教の『光』或いは『存在』でもあり、
わが日本の哲学者、和辻哲郎によると、
「古事記」の中にある神々の認識は
『無限に近い神秘の発現してくる通路である人間を通して
背後から人間の生命を慈しみ育てる力として神。
キリストの「愛のエネルギー」の世界も同じです。
「愛」がないと生命は育ちません。
人間の意識を解体し続けていくと
もはや個人の意識を超えた
すべてを包み込む
『無』であり『宥』の世界に到達する。
それが生命を生かしているというのです。
そこでは人間は
人種、性別、国、文化文明などの違い、
集団や個人を条件付けるものがすべて取り払われ
生命をいかしつづける透明なエネルギーのみが
流れているという訳です。
つまりそこにおいて、
人間は一個の生命エネルギー体としてだけであり、
大統領といえど乞食といえど
すべて平等な一個のエネルギー体に過ぎない
と、こういうワケ。
ああ疲れた・・・。
だから私達の国家とか社会とかに規定された意識が
他者を否定たり異端視しているだけで
人間は皆兄弟です。
たまたま違う文化と文明のところに生れ落ちただけです。
そしてお互いに生きていくために「
愛情や慈しみが必要であり、
だから絶対に、
いかなる理由があろうとも、
人が人を殺してはいけナイ。
自分の兄弟を殺してはいけません。
殺すな!殺すな!殺すな!
いかなる理由があろうとも
すべての戦争に
私は反対します。
分け合うこと
和解すること
違いを認め合うこと。
そして
一緒に生きていきましょう。
今年最後のブログ、
お読みいただいた皆様に幸多きことを
お祈りしています。
それでは又。
良いお年を!