言葉を食べて! |
目が醒めたのは、10時でした。
やっぱり少し疲れていたのですね。
ドイツで良かったことは、
パンがとてもおいしかったことです。
大晦日の夕方、ケルン駅の近くで、
屋台のホットドッグを買いいました。
パンにながーいソーセージが一本はさんであるだけの
とてもシンプルなものでしたが、
一口食べて娘と顔をあわせました「パンがおいしい!」って。
本当はながーいソーセージが美味しそうなので買ったのですが。
ホテルのパンも町で売っているサンドウィッチも、
ハムやソーセージが少々ショッパイけれど、
それは添加物を使わないからで、
とてもいけました。
そのせいか、ご飯を食べたいとぜんぜん思いませんでした。
もともとドイツの人々は粗食らしく、
ホテルの朝ごはんも最近になって、
アメリカ式にたまごや、野菜やハムなどを用意していますが、
ちょっと前まではコーヒーとパンだけだったらしいです。
でもパンがあれだけ美味しければ、
私はそれで充分だと思いますが・・・ねーッ。
今日の午後からは本屋に行きました。
富岡妙子さんの[西鶴」について書いた本がほしくて。
探したけれどありませんでした。
しかし何ですネェ。
山ほど本が溢れているけれど、
なかなかコレワっというのに会いません。
特に文章がス-ッと身体の中に入ってくれるものが少ないです。
のどを通る水のような文に会うと
どんどん身体が癒されて元気が出てきます。
仕方がないのであきらめて、
須加敦子さんの[時のかけらたち」という本を買いました。
イタリアについてのエッセイらしいです。(まだ読んでいないので)
帰り際に、ふっと絵本売り場によりました。
私はなんとなく絵本が好きなので買うわけじゃありませんが、
いい絵がついてると立ち読みします。
そこでミヒャエル・エンデの「だれでもない庭」がありました。
エンデの遺作です。
ミヒャエル・エンデさんには随分お世話になりました。
特に、自分が失語症ではないかと思うくらい
他者とのラポールがとれなかった頃、
「モモ」の中にあった、マイスターホラさんの言葉。
「言葉は熟すまで出してはいけない」
という行に、釘づけになりました。
失語症でもいいんです。
ゆっくり自分の思いを伝えられる言葉が熟するまで
待てばね。
逆に言葉は巻き散らかしてはいけない。
言葉は生きています。
人間のからだは、ちゃんと嘘の言葉を見分けます。
嘘の言葉は自分を傷つけます。
今日もエンデ氏からステキな言葉をもらいたくて
さっそく買いました。
そういえば、ミヒャエル・エンデもドイツ人でしたね。
きっと彼も余計なものをそぎ落として、
スーツと喉もとをとっていく言葉を書いているのでしょうか?
原語で読めないのが残念です。
ドイツだって良いとこも悪いとこも沢山あるでしょう。
しかし、3,4歳の頃、バイエルさんにお世話になり、
以来、モーッアルトさん、ベートーベンさんシューベルトさんに、
ブラームスさんゲーテさん、
数を上げれば切がなく、
そうそう、絵画のホルスト・ヤンセンさんもいました。
なんだかすごい人たちから沢山の宝物を頂き、
この場を借りてお礼申し上げます。
私は自分が落ち込んだり、さまよったりした時、
本を読みその中の言葉にすがるようにして、
自分を取り戻して生きてきました。
言葉を食べて生きてきた人生です。
本さんコレからもよろしくお願いします。
本屋さんもネッ。
他の記事ですが、denshinbashiraさんという、お名前の由来がわかってうれしかったです♪

