2006年 01月 08日
名人は良寛さん! |
昨日、人間の中には
ガラスのように透明な世界あると書きました。
それを証明してくれた、賢治も山頭火も
あまりにも自分の世界を追求したため、
市民社会からは落ちこぼれてしまいました。
市民社会でいっぱしにやっていくには、
やはり周囲とのバランスの舵取りが出来なくては、
自分の本心はここに置いといて、
周りと妥協しながらみんな生きている。
賢治も山頭火も悲しいくらい
軟弱で、世の中に適応できない。
それを甘ったれトイウ人もいる。
又、山頭火など
たびたびお金の無心をしており
そのことに不快感を示す人もいる。
そりゃそうだよ。
働いてお金を得ることは
辛いことを
いっぱい我慢することでもあるからね。
賢治も山頭火も
あまりに透き通った世界が見えていたから、
どうしても濁りの水が飲めなかった。
二人とも
そういう自分を責めて、せめて
あがいて苦しんだ。
私にはよーくわかるよ、
彼らの苦しみがネ。
しかし同様な苦しみを持ちながら
持ちこたえて、生き抜いて
そして最後には見事に自分を成就させた人がいます。
その名は
良寛
良寛も生まれながらに
宿命的なものがあります。
彼も自分を求めて放浪しました。
(一般的に流布されている良寛の伝記には
そのことはほとんど書いてありません。)
苦しんで苦しんで僧侶になり
俗世界から逃げて、
山奥に引きこもります。
しかし、かれは最後には
物の流れに逆らわず、
宇宙のながれにさからわず。
乞食坊主として
無心をしたり
金持ちを相手に
書を書いたりした
お金や物資の援助を受けましたが
なんのその
そんなことがどれほどの問題か
というところまで開眼していきました。
彼はイツモ
ぼろを着て乞食をしてても
ノホホン、のほほんと
生きる旨を自分に課していました。
ノホホンのほほんと
楽天的に生きる。
何も所有せず
何もにも支配されず。
ただいまある生を
ノホホンのほほんとね。
ミヒャエル・エンデのところでも書きましたが、
芸術は人間のすべてを対象とする。だから、
モラルや倫理で人間を裁きません。
人間の懊悩の深さをじっと見つめ
悪を犯したものでさえ、
その内面に光を当て
聖なる所から眼差しを向けます。
良寛もそこがわかっていた人だと思います。
大変な教養と学問、哲学を持った人のようでした。
私が学生の頃読んだ本に
「非所有の所有」という本があります。
いっさいを所有しないことで
すべてを所有するという意味です
賢治もいっさいの欲を放棄しようとしました。
山頭火も最後は犬が運んできたもちを食べ、
半分食べ残しておいたモチを
猫に持っていかれました。
本人は
犬にほどこされ、猫にご馳走したと書いています。
なんてステキなんだろうと私は思いますが・・・。
賢治ももっと生き延びれたら
良寛のような境地までいけたかもしれません。
まさに名人の
良寛さんです。
ガラスのように透明な世界あると書きました。
それを証明してくれた、賢治も山頭火も
あまりにも自分の世界を追求したため、
市民社会からは落ちこぼれてしまいました。
市民社会でいっぱしにやっていくには、
やはり周囲とのバランスの舵取りが出来なくては、
自分の本心はここに置いといて、
周りと妥協しながらみんな生きている。
賢治も山頭火も悲しいくらい
軟弱で、世の中に適応できない。
それを甘ったれトイウ人もいる。
又、山頭火など
たびたびお金の無心をしており
そのことに不快感を示す人もいる。
そりゃそうだよ。
働いてお金を得ることは
辛いことを
いっぱい我慢することでもあるからね。
賢治も山頭火も
あまりに透き通った世界が見えていたから、
どうしても濁りの水が飲めなかった。
二人とも
そういう自分を責めて、せめて
あがいて苦しんだ。
私にはよーくわかるよ、
彼らの苦しみがネ。
しかし同様な苦しみを持ちながら
持ちこたえて、生き抜いて
そして最後には見事に自分を成就させた人がいます。
その名は
良寛
良寛も生まれながらに
宿命的なものがあります。
彼も自分を求めて放浪しました。
(一般的に流布されている良寛の伝記には
そのことはほとんど書いてありません。)
苦しんで苦しんで僧侶になり
俗世界から逃げて、
山奥に引きこもります。
しかし、かれは最後には
物の流れに逆らわず、
宇宙のながれにさからわず。
乞食坊主として
無心をしたり
金持ちを相手に
書を書いたりした
お金や物資の援助を受けましたが
なんのその
そんなことがどれほどの問題か
というところまで開眼していきました。
彼はイツモ
ぼろを着て乞食をしてても
ノホホン、のほほんと
生きる旨を自分に課していました。
ノホホンのほほんと
楽天的に生きる。
何も所有せず
何もにも支配されず。
ただいまある生を
ノホホンのほほんとね。
ミヒャエル・エンデのところでも書きましたが、
芸術は人間のすべてを対象とする。だから、
モラルや倫理で人間を裁きません。
人間の懊悩の深さをじっと見つめ
悪を犯したものでさえ、
その内面に光を当て
聖なる所から眼差しを向けます。
良寛もそこがわかっていた人だと思います。
大変な教養と学問、哲学を持った人のようでした。
私が学生の頃読んだ本に
「非所有の所有」という本があります。
いっさいを所有しないことで
すべてを所有するという意味です
賢治もいっさいの欲を放棄しようとしました。
山頭火も最後は犬が運んできたもちを食べ、
半分食べ残しておいたモチを
猫に持っていかれました。
本人は
犬にほどこされ、猫にご馳走したと書いています。
なんてステキなんだろうと私は思いますが・・・。
賢治ももっと生き延びれたら
良寛のような境地までいけたかもしれません。
まさに名人の
良寛さんです。
by denshinbashira
| 2006-01-08 20:31
| 良寛の世界
|
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