2006年 01月 10日
わたしも、そこまで行きたいなあー! |
何年か前、多分もう7、8年前かしら、
良寛のことをたずねて
出雲崎へ一人旅をしたことがあった。
良寛のことをあれこれ読んでいるうちに、
どうしてもその書が見たくなった。
特に、国上山の五合庵に良寛がこもり、
その孤独の絶頂期に写経した書を是非見たいと。
出雲崎の良寛記念館で、その書を見たとき
心が凍りついたというか
息を凝らした見入ってしまった。
普通、書を書くとき、その筆を止めた瞬間
或いは止めたあと、はねる瞬間に人間は色気を出す。
筆が動いているときは、息を出しながら書いているが、
息を止めた瞬間、脳が作動する。
なんていうか、チョロっと思いが入るのである。
ところが、良寛さんは、
息を流しっぱなしに書いている。
つまり、
そのとき、心が完全に
「無」
或いは「空」
という状態にあったと考えられる。
心に少しも雑念、色気が宿っていない。
ちょっと見ると、
カナ釘流のようなヘタクソな字の様であるが、
吉本隆明の言葉を借りれば、
「渋滞がない」
私流に言えば、
「心を放り出している。」
という感じですかねぇ。
しかしひとつひとつの字は
確実にやわらかく、オーラが出ていました。
こんな字を見たのは始めです。
凄いねえ。
感動しました。
以来コレを越えるような書には出会っていません。
相田ミツオさんの書にも随分励まされましたが、
彼の中にどうしても、
前向きになろうというとか、ナンか、もひとつ
彼が抜けだせていないのを、感じました。
逆にそのところが一般に受け入れられるのかもしれナイ。
しかし、良寛になると
うかうかと近寄ったら
切り倒されるかも知れません。
多分「ナニコレ」
ってな具合で、
理解されないでしょうし。
逆に、それぐらい殺気があります。
おいそれとは近づけない。
言わせてもらえば、
この殺気のところを歩き抜いてこそ
初めて澄み切った
本当の境地のところにいけるのであって、
その意味では
相田さんはまだヌルイかなーとも思います。
しかし多分、書を見たあと当面は
その余韻でナントか心が持ち直せるけど、
しばらくたつと
忘れ去られてしますと思う。
ありゃ、又毒を吐いたカナー?
でもそれはそれでいいんだと思います。
人間は煩悩のかたまり、
晴れたり曇ったり、
右往左往しながら
生きていますから。
でも、本当に[美しい」ということを
知りたいのなら、
良寛までたどり着いてほしいと思います。
本当に美しいということを・・・。
しかし
言っときますけど、
本当の良寛は、
あのクソヌルイ人格者化した良寛とは違いマッセ。
心を放り出し、
何もかもどうでもよくなったとき
アホあほになって
ガキと手鞠でもツクカーなんてもんで、
心が虚無を通り越して
すっからかんのカンになったとき初めて
たどり着く境地です。
私もそこまでいきたいなあー。
イキタイナアー。
良寛のことをたずねて
出雲崎へ一人旅をしたことがあった。
良寛のことをあれこれ読んでいるうちに、
どうしてもその書が見たくなった。
特に、国上山の五合庵に良寛がこもり、
その孤独の絶頂期に写経した書を是非見たいと。
出雲崎の良寛記念館で、その書を見たとき
心が凍りついたというか
息を凝らした見入ってしまった。
普通、書を書くとき、その筆を止めた瞬間
或いは止めたあと、はねる瞬間に人間は色気を出す。
筆が動いているときは、息を出しながら書いているが、
息を止めた瞬間、脳が作動する。
なんていうか、チョロっと思いが入るのである。
ところが、良寛さんは、
息を流しっぱなしに書いている。
つまり、
そのとき、心が完全に
「無」
或いは「空」
という状態にあったと考えられる。
心に少しも雑念、色気が宿っていない。
ちょっと見ると、
カナ釘流のようなヘタクソな字の様であるが、
吉本隆明の言葉を借りれば、
「渋滞がない」
私流に言えば、
「心を放り出している。」
という感じですかねぇ。
しかしひとつひとつの字は
確実にやわらかく、オーラが出ていました。
こんな字を見たのは始めです。
凄いねえ。
感動しました。
以来コレを越えるような書には出会っていません。
相田ミツオさんの書にも随分励まされましたが、
彼の中にどうしても、
前向きになろうというとか、ナンか、もひとつ
彼が抜けだせていないのを、感じました。
逆にそのところが一般に受け入れられるのかもしれナイ。
しかし、良寛になると
うかうかと近寄ったら
切り倒されるかも知れません。
多分「ナニコレ」
ってな具合で、
理解されないでしょうし。
逆に、それぐらい殺気があります。
おいそれとは近づけない。
言わせてもらえば、
この殺気のところを歩き抜いてこそ
初めて澄み切った
本当の境地のところにいけるのであって、
その意味では
相田さんはまだヌルイかなーとも思います。
しかし多分、書を見たあと当面は
その余韻でナントか心が持ち直せるけど、
しばらくたつと
忘れ去られてしますと思う。
ありゃ、又毒を吐いたカナー?
でもそれはそれでいいんだと思います。
人間は煩悩のかたまり、
晴れたり曇ったり、
右往左往しながら
生きていますから。
でも、本当に[美しい」ということを
知りたいのなら、
良寛までたどり着いてほしいと思います。
本当に美しいということを・・・。
しかし
言っときますけど、
本当の良寛は、
あのクソヌルイ人格者化した良寛とは違いマッセ。
心を放り出し、
何もかもどうでもよくなったとき
アホあほになって
ガキと手鞠でもツクカーなんてもんで、
心が虚無を通り越して
すっからかんのカンになったとき初めて
たどり着く境地です。
私もそこまでいきたいなあー。
イキタイナアー。
by denshinbashira
| 2006-01-10 09:56
| 良寛の世界
|
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