花の名。 |
『花の名』を紹介したいと思い、
それが載っている本を探したのですが、
見当たりません。
時々わたしは自分の人生をご破算ににしたくなる時があり、
そのときは
自分が執着していた色々なものを捨ててしまうので、
もしかしたら、処分したのかもしれません。
本は野菜と同じで、私の日常食物であり、
読んでしまったら、
つまり摂取したら、捨てることにしています。
でないと、たまりすぎて困ります。
というわけで、
先日東京駅近くの本屋で、新しいのを見つけました。
しかもご本人のサイン入りのヤツです。。
実は明日から、千葉へ一泊旅行に出かけます。
そういうわけで、ブログは
明日とあさってはお休みします。
その代わりといっちゃ何ですが、
最後のところにお約束の『花の名』の詩を載っけておきますから、
興味のある人は読んでください。
この詩をもう一度読み返してつくづくと、
あの頃は(戦後間もない頃)人間がなんちゅうか、
人間らしい暖かさがあったなあーと思います。
のんびりとしていて、ギスギスしていないというか、
なんだか今に比べ、
まだ心に余裕があったように思います。
おととい書いた、小津安二郎監督の映画「東京物語」も
「八月の鯨」もたいした筋もないんですが、、
それより人間同士のちょっとした機微がいいんですねえ。
ちょっとしたことで、
心が震えたり、スーツとおさまったり、
何気ない日常の中でこぼれる人間のやりとり。
どうってこともないんですが、
そのどうってこともないその、ほんのささやかなところで、
私たちは、おちこんだり、救われたり、ねえ。
先日演出家久世光彦さんのお葬式のときに出た、
樹木希林さんの顔がよかったですねえ。
ああいう穏やかな自然の顔を見ると、
ほっとします。
人としての温度が、
さほど高くもなく、低くもなく。
俳優の笠智衆さんの飄々とした演技は
「寅さん」の映画だけでなく昔からああで。
いまもはっきり心に焼き付いています。
あの人は生き方も肩の力が抜けていて、
飄々としていたようです。
いいなあー。
それでは千葉へ行ってきます。
茨木のり子詩集「鎮魂歌」より 童話屋 出版
花の名
「浜松はとても進歩的ですよ」
「と申しますと?」
「全裸になっちまうんです 浜松のストリップ そりゃ進歩的です」
なるほどそういう使い方もあるわけか 進歩的!
登山帽の男はひどく陽気だった
千住に住む甥っ子が女と同棲しちまって
しかたがないから結婚式を挙げてやりに行くという
「あなた先生ですか?」
「いいえ」
「じゃ絵描きさん?」
「いいえ
以前 女探偵かって言われたこともあります
やはり汽車のなかで」
「はっはっはっは」
わたしは告別式の帰り
父の骨を柳の箸でつまんできて
はかなさが十一月の風のようです
黙っていきたいのです
「今日は戦時中のように混みますね
お花見どきだから あなた何年生まれ?
へええ じゃ僕とおない年だ こりゃ愉快!
ラバウルの生き残りですよ 僕 まったくひどいもんだった
さらばラバウルよって唄 知ってる?
いい唄だったなあ」
かってのますらお・ますらめも
だいぶくたびれたものだと
お互い目を据える
吉凶あいむかい賑やかに東海道をのぼるより
しかたなさそうな
「娯楽のためにも殺気だつんだからな
でもごらんなさい 桜の花がまっさかりだ
海の色といいなぁ
僕 色々花の名前を覚えたいと思ってンですよ
あなた知りませんか? ううんとね
大きな白い花がいちめんに咲いてて・・・・・」
「いい匂いがして 今ごろ咲く花?」
「そう そう」
「泰山木じゃないかしら?」
「ははァ 泰山木…僕長い間
知りたがってたんだ どんな字を書くんです?
とてもいいものだよ
父の古い言葉がゆっくりよぎる
物心ついてからどれほど怖れてきただろう
死別の日を
歳月はあなたとの別れの準備のために
おおかた費やされてきたように思われる
いい男だったわ お父さん
娘が捧げる一輪の花
生きているとき言いたくて
言えなかった言葉です
棺のまわりに誰も居なくなったとき
私はそっと近づいて父の顔に頬をよせた
氷ともちがう陶器ともちがう
ふしぎなつめたさ
菜の花のまんなかの火葬場から
ビスケットを焼くような黒い煙がひとすじ昇る
ふるさとの海べの町はへんに明るく
すべてを童話にみせてしまう
鱶に足を喰いちぎられたとか
農機具に手を巻き込まれたとか
耳に蚊が入って泣きわめくちび 交通事故
自殺未遂 腸捻転 破傷風 麻薬泥棒
田舎の外科医だったあなたは
他人に襲いかかる死神を力まかせにぐいぐい
のけぞらせ つきとばす
昼も夜もない精悍な獅子でした
まったく突然の
少しも苦しみのない安らかな死は
だから何者からのご褒美ではなかったかしら
「今日はお日柄もよろしく・・・仲人なんて
照れるなあ あれ! 僕のモーニングの上に
どんどん荷物が ま いいや しかし
東京に住もうとは思わないなあ
ありゃ人間の住むとこじゃない
田舎じゃ誠意をもってつきあえば友達は
ジャカスカ出来るしねえ 僕は材木屋です
子供は三人 あなたは?」
父の葬儀に鳥や獣はこなかったけれど
花びら散りかかる小型の涅槃図
白痴のすーやんがやってきて廻らぬ舌で
かきくどく
誰も相手にしないすーやんを
父はやさしく診てあげた
私の頬をしたたか濡らす熱い塩化ナトリウムのしたたり
農夫 下駄屋 おもちゃ屋 八百屋
漁師 うどんや 瓦屋 小使い
好きだった名もないひとびとに囲まれて
ひとすじの煙となった野辺のおくり
棺を覆うて始めてわかる
味噌くさくはなかったから上味噌であった仏教徒
吉良町のチエホフよ
楽しかったな じゃ お達者でね」
東京駅のプラットホームに登山帽がまったく
紛れてしまったとき あ と叫ぶ
あの人が指したのは辛夷(こぶし)の花ではなかったかしら
そうだ泰山木は六月の花
ああ なんといううわのそら
娘の頃に父はしきりにそう言ったものだ
「お前は馬鹿だ」
「お前は抜けている」
「お前は途方もない馬鹿だ」
リバガアゼでも詰め込むようにせっせと
世の中に出てみたら左程の馬鹿でもないことが
かなりはっきりしたけれど
あれは何を怖れていたのですか 父上よ
それにしても今日はほんとに一寸 馬鹿
かの登山帽の戦中派
花の名前の誤りを
何時 何処で どんな顔して
亡くなった竹内さんに向けて書いた文章を思い出しました。
竹内さんが確か50代後半で産まれた娘さんは、
いつかパパは私を置いて逝ってしまう!
だから私がパパを置いて行ってやる!と
渡米したのかもしれないと書いていた。
この詩を読んで喉の奥から苦く重い何かがせり上がってきてふと気付くとそれが嗚咽だと気付きました。
母を亡くした2年前から私はきっとずっとこんな風に泣きたかったんだと思います。
数時間前まで裏切ったとか裏切られたとか友達だ友達じゃないとか、くだらない涙流してました。
私はちゃんと泣きたかったんだ、そんなことに泣きたかったんじゃなかったんだってわからせてくれて、この詩に出会わせてくれてありがとうございます。